試験前のどんより

熊はスケジュール魔である。自らにも厳しく分単位制を布いて着々と履行している姿を見ると、立派だなぁとは思う。遠巻きに。それと比べると私はだらしないという言葉がぴったりである。逆に自由じゃないと最初の一歩から手がつかない。たぶん、この「手がつかない」という部分が他の人には謎なのかもしれないが、制限されると行動摩擦係数が高くなってどうしても手が出ないのである。メリハリとか予定をこなすとか決意を新たにするとか考えると身も心もどんより重くなってくる。私の場合はぬるぬると気負わず切れ目なく流れるようにいつの間にかなんとなくやっていくのが最大パフォーマンスを引き出すコツなのである。
昔、ウィンドウディスプレイを飾り付けるサークルに誘われて入ったことがあるが、ああいう思い付きと感覚でやるようなことを他人と相談してすりあわせねばならないというのがピンとこなくてすぐに辞めたことがある。そんなんで仕事は大丈夫なのかというと、社畜が憑依している間は、あれは私ではない。私生活と仕事はどう違うのかとか、そこんところのバランス感覚や我慢の閾値はその人の脳内の出来事なので他人には判らない。判らなくて当たり前だしそれでいいじゃないか。そんなん事細かく説明しても面白くもないし、何より些末な内容までいちいち所信表明してコンセンサスをとらねばならなかったら面倒臭くて日常生活やってられん。放っておけばいいことというのもある。
休日の予定が埋まっていないと不安になるという人がいたけども、私は逆に毎週毎週埋まっていると窒息しそうになるんだよな。いまは週末に試験を控えているので、動かせない重い予定に気分がどんよりしている。受験自体が厭なのではない。試験があるということは準備もせねばならないわけで、当日だけでなく何日も前からその予定に拘束されるということだ。そうしないと勉強が間に合わないから。理屈は判っているし会社命令とはいえ最終的に受けると決めたのは自分である。それでも今この瞬間が自由にならないことに苛立つ。投げ出さない限り予定を変えたりできないことが厭なのである。アンビバレンツ。
予定というのはこなしてしまえばそのうち解放されるもので、体験的にそれが判っているのでとりあえずマシン化して目の前にあることを片付けるわけだが、このごろはどんだけ粛々と処理してもすぐに次の予定が入ってきて切れ目がない。その繰り返しにだんだん息切れしてきたんだろう。頭の中が真っ白になってなにも考えられない瞬間が増えてきた。
そういうときに熊を見ると感心するのである。一定の速度で倦まず弛まずバリバリと映画を見てゲームして本を読んで日記を書いている。まるで除雪車かコンバインのようである。継続は力なり、コンスタントが一番強いという当たり前の事実に眩暈を覚える。うん、当たり前が一番難しいんだよね。たぶん本人しか把握してない事情や欲求や努力の仕方があって、一番いいようにやっているんだろう。その背景まで忖度するつもりはない。ただ偉いな。胃が痛い。