いや、マジ理解できない

笑うツボなんて決まりがあるわけじゃないし、どこが面白いかなんてどうでもいいことではある。
昔々、自分と世界についてかなり真剣に考えていた時期がある。今はどうかというと、辛くなるのであまり考えないようにしている。私が根暗だからなのか考え続けると、茫洋とひろがるクレバスの上で、本当はそこに体重を支えるものなどないのに地面の続きだと思い込んでいるから落ちていない、ということが見えてしまうような予感がしてきたのだ。真実に気付いたら最後、深く広く暗い亀裂の中に吸い込まれてしまう、だから気づかないでいようと思っている。
考えた当時はそれこそ過干渉な親とアスペルガー的ドライさを持つ自分との溝などに色々苦しんでいた時期で、そこから逃れるためにやむにやまれず考えに考えて考え抜いた。母は煩悩に囚われがちなところを除けば非常に常識的な人間で、単純に彼女に世間を投影してもあまり無理なく機能した。私は世界と自分の関係を、アオい感傷でもって絶望的な隔たりについて考えた。
そこから導き出された答えは、私にとっては胆嚢のように苦い動かしがたい事実となった。


さて、個人の世界観というのは他人には適用できない。
どれほど苦い懊悩の果てに身につけたものであっても、他人にかかってはあっさりと根底からひっくり返されたりするのだ。


例えば私はいつも観察していて先回りして子どもの行動を封じるような母の元に育った。それは本人は愛情の発露だと信じていただろう。だがいくら腹を痛めた我が子であっても、別個の個体を持った別個の存在である以上、心の中まですべて見透かすことは不可能である。
実際「コレが好きでしょ」と渡されるものの中には、そうでもないものも混ざっていた。しかし私は先に「好きでしょ」と言われると、そうでもなくとも妥協できるなら妥協してしまったほうが面倒がないな、よかれと出してくれてるんだし、と思うような子供だった。まあいいや、いちいち違うと主張すると『人がせっかく!』とか言い出して面倒だしな、別に嫌いじゃないしこの場は好きなことにしておこうか。
そういう積み重ねが続くと、判ったフリをされること自体に反発を覚えるようになる。違うんだけどなぁ、また付き合いで譲歩しなくちゃなんないの? 
だんだん自分がそのものを好いているのか嫌っているのか、はたまた手渡すその手に反発しているだけなのか、よく判らなくなってくる。
最初の小さな齟齬から、後々まで思ってもいなかった行動をとらされる。好意から出ているらしいから、無碍に断るのも気が引ける。この場合、好意でも愛でも本当にあるのかどうかは関係ない。そのような型に則っているということが重要なのだ。型にのせられたらこちらも同じ型で返さねば会話が成り立たないのは、日本語には日本語で返すのと同じことである。面倒くさいと思っても、我慢し続けることになる。それを二十年である。私の根性が捻じ曲がったからといって、誰に責められよう。ま、誉められたことでもないがな。
お陰で今でも私は「判ったフリをされる」ことに、非常なストレスを感じるようになってしまった。しかもちょっと過敏に反応する。
他人同士として当然の範囲内、食べ物の好みを覚えているとか、ある種のサプライズとか「ああ、わかるわかる〜」という同調程度なら別にどうってことはない。四六時中、判ってるフリに付き纏われるのが厭なのだ。厭過ぎて自律神経に支障をきたす。どうせなら遠くから判ってて欲しい。
私の事実とは、例えばそういうことである。


ところが同居人は違う。
愛情深い親にいき過ぎなほど細かい気遣いを受けて育ったのは同じだが、それは彼にとって正しく愛情と認識され、内容はどうあれその気持ちが嬉しいと素直に評価できるんだそうだ。相手に興味があれば自然とよく見るものだし、そうすれば好みや性向なども把握できてくる。なんとか気分良くいてもらおうとするから、次の瞬間に何をしようとしているのか何をしたいと思っているのか懸命に推理もするし、喜んでもらうために行動も起こすんだという。一緒にいる私にも何くれとなく世話を焼かれたら、それが多少的を外していて迷惑だったとしても嬉しい気持ちになるらしい。
本当か?と疑うが、だから私にも自分がされたいと思うことを無意識にしているし、そうされる私は洒落にならないような拒絶反応を起こしているわけで、あながち口だけではないんだろう。


私の拒絶が育った環境に原因があるのなら、真逆のことが彼の真心にはあるわけだ。
根源が同じことだし、価値観の相違にどちらが正しくてどちらが重いという区別は出来ない。
強いて言うなら彼のほうが心が広くこなれているということか。とすれば向うに軍配が上がるわけだ。
いやはや、違う人間というのは時にこういうとんでもないことをしてくれる。反吐を吐きながら手に入れた人生論をあっさりと反故にしやがる。
他人ってのは本当に理解できん。もう笑うしかない。