褒められたい

褒められたいとか受け入れられたいとかの認知欲は、人間ならあって当り前だ。
そんで認められたいから頑張って褒めてもらえるところまでいく、というのが順当な流れなんだと思う。欲があるから向上できる。
だって自分でも他人に褒めてもらえるようなレベルじゃないって判ってるのに、無闇に褒められても正直微妙な気分になる。相手の価値も自分の価値も下がる。だから自分でも満足できる領域を目指すし、褒めてもらっても恥ずかしくないくらいになりたい。
ただ素で出されたものを、ハイ、とにかくなんか褒めろ、というのは未分化な学齢前の子どもに「褒められると嬉しい」という気持ちを刷り込むのには有効なのかもしれんがな。


褒め上手が良いよ、というのはそこから先の、また別の話だ。
出来た分・頑張った分は褒められたいけど、誰も気付いてすらくれないのが現状だ。実際、そんなにもてはやされるような才能があるわけじゃないし、むしろ自分はかなり頑張ってこのレベルだけど、世間的にはたいしたことないって場合が多いわけで、そうなるとこんな自分なんてというところから疎外感まで抱いてしまって気分的にツラくなる。
褒め上手な人が傍にいると、そういうのが本当にほぐれるしこんな自分でも生きてていいんだって気になれる。小さな幸せ。


ただ頑張っても自分で納得できる結果には届かないこともあるし、巡り合わせが悪いこともあれば、長大なものに押しつぶされることもある。行動したってなんにも変らない虚しさだけが残ったことも、私はある。
頑張れば必ず相応の見返りがあるなら、どんなによいか。というのは愚痴だがな。