我輩は社獣である

今年はとにかく本業が忙しかった。実のところ6月からずーっと倦まず弛まず忙しさが続いたのでメリハリがなく、自分でもいつがどうだったのか記憶が曖昧なのでtwitterの過去ログを確認して書いている始末だ。
どうやら6月後半から終電帰宅が始まり、そのまま7月に突入し休みはほぼ2週間に一度、週末は休めないので平日に無理矢理代休を取っていたようだ。自宅にはまさに寝に帰るだけの生活。枕に頭をつけて10秒で眠り、次の瞬間には朝になっていて痛む身体を無理矢理ベッドから引き剥がしてシャワーを浴びたら現場に飛び出すことの繰り返し。時間がないので食事は1日1食、昼だけはしっかり食べる日々。たまに厭になって残業を切り上げ、酒を飲みに行くのがストレス解消であった。それが11月いっぱいまで続き、最後の1ヶ月は徹夜で会社に泊まるのも珍しくなかった。この5ヶ月間の残業時間は毎月160〜180時間、いわゆるブラックといわれてもまったくおかしくない時間数ではある。社内では最初の3ヶ月でふたり飛んだ。
しかしだからって私はこの仕事を辞めようとまでは思わないのだな。何故ここまでやるのかといえば、ひとえにこれが私の仕事だからだ、これに尽きる。こういう職に就いてしまったのが運の尽きだわな。社畜? なまぬるい。社獣だ。
だいたいこれで会社に鎖で繋がれて遣われてるとは正直なところ思わんのだ。幸いにしてこの5ヶ月で自分の年収の10倍以上の稼ぎを叩き出せたが、んじゃ例えば個人でこれだけやれるかというと、今回だって上長の技術指導や他の人たちの助けがあらばこそでひとりでやったとはとても言えないし、ひとりでできる分量でもない。そもそも会社組織じゃなきゃ受注すら不可能で、組織の利点ってアタマ数を前提にデカい物件を扱えるということなんだよね。そんで組織には総務も営業も他の事務方も必要だ。つまり安定した収入を得る代わりに、組織にはたまに収益をもたらせれば利害が一致。多少無理してでもやりきるからこそ、苦手な営業にはノータッチでおいしい仕事を回してもらえるわけ。更にそこまで至るにはバックアップが必要で、それが可能なのも組織の強みだ。ロクな教育もしないで責任だけ被せて放っぽりだしたり逃げ場のない新人に無理をさせるのとは訳が違う。
そりゃ他に探せばもうちょっと楽で実入りのいい仕事もあるかもしれん。じゃあ一足飛びに転職しますかというと、生業なんてそう簡単に着替えられるものではない。なんでもかんでも人生をコントロールできるかというとそうでもなくて、個人の資質だとか巡り会わせとかそういう部分で決まってくることも多いんじゃないかな。生きるというのは本来闘いであり、金を稼ぐのは楽じゃない。そういうと大層辛いようだけども、最初はキツくてもだんだん鍛えられてくるからなんとかなるなる、大したことじゃない。不慣れな仕事で手間を喰ったけど、次はもう少し上手くやれるだろうし。たぶんね。
それだけ稼げたという事実には苦労が報われた感があったしほっとした。それと今回の仕事は外部からそれなりに高評価をもらえたので、結果的には頑張っただけのことはあったと気持ちのオチをつけることもできた。ただ結果は結果であって後からついてくるもので、やってる最中は先のことなど判らんし、一所懸命にやったって上手くいくとも限らん。結果が出なきゃやらんのかというと、目の前の仕事をきっちりやらないのも気持ち悪いわけで、なんというか単純にそんなものなのだ。結果が出るようにやるんだよと言えればカッコイイけど私はまだそこまで到達してないしな。
他にも人材がいるから私でも大きい物件をやりきることができる。それをつまらない歯車の一部と捉えるか、辛いことは周りに任せてイチ抜けすることを考えるかっていうと、状況にもよるけど後先考えたらそうそう辞めてられないわな。例えば前職では社長の借金のせいで働いても働いても給料が出なかったりしたことがあって、そこでしがみつくのはやっぱり悪手だけども、そうでもなきゃこれがメシの種だし死活問題に直結してるから多少は我慢もするよね。一応、技術系なので潰しはきく。でも見渡してみるとどこ行っても同じなのよ。キツい部分は業界全体の構造的なもんだから日本を変えない限り変わらない。なんたって飛鳥時代からある業界だもの。因果な商売ではあるけど、持ってるカードで勝負するしかないからねぇ。ああそうだ、あとね、ここまでやっておけば誰にも文句は言わせんよ、というプライスレスなオマケもあるのよ。これで解消される細かいストレスがけっこうある。だからどうせならやっとけばいいんじゃないかな、と思う。自分が一般化できないレアケースだということは判っているけどね。
長くなったので日記納めはまた明日。やっぱり大変だったことは語りたくなるな。