見てみたい未来の条件

お勉強で久しぶりにシャープペンを握って書き殴り続けたせいで、マウスを握る右手の限界が早くなっている。まとまった冊子の重み、偏重荷重の負荷、指の1本1本に掛る無理がどこか懐かしい。パソコンが登場して日頃から手指を鍛える動作は確実に減った。そういえば近ごろはスマホ指といって、片手でスマホを持つときは画面を空ねばならぬので掌全体で握りこむわけにもいかず小指で軽く底を支える形になるため、五指のうち小指だけに負荷がかかり結果指の形が気持ち他の4本と離れてしまうというのがあるらしい。新手のペンダコみたいなものか。
身体に負荷をかけるに伴い変形しながら生きていくというのは当たり前のことであって、そんなに忌避することでもないんじゃないかと思い始めている。そう遠くない未来にエントロピーが崩壊するまで暫定的に活動していくのだ。権力者は不死になりたいと希求するらしいが、どうもその気持ちがよく判らない。積極的に死にたくはないけどそんなに長生きもしたくない。将来に希望が持てないからだろうか。1万年後とかせいぜい2〜300年後の未来なら見てみたいが、ヒトの寿命からいってそんなのは所詮叶わぬ夢なので本気で望むこともない。『もしも』で仮定してもこの身体のまま200年も生き続けたらいろいろとエラいことになっていそうだし、その時には世の中がどうなってるかなんて興味の埒外になってる可能性が高そうだ。いまでさえ割りと世の中のことに興味が失せつつあるというのに。長生きするよりなんなら輪廻転生したほうが若く気力のあるうちにその世界で生きてみることができて都合がよい。しかし転生すると前世の記憶なんかは無くなりそうだ。いまも無いし。そもそも何故未来の風景が見たいのかというと、現在からどのように変わっていくのかを知って感慨に耽りたいからなのであって、現在を生きてるだけで比較対象がなければ変化が体感できないため面白さは半減する。過去から見た今生と変わらない。そうすると冷凍催眠で未来までひとっ飛びするか脳移植でクローンを次々と乗り換えていくか、意識をコード化して別の肉体にコピーするほうがいいな。此彼を比較したいのでできれば浦島太郎状態だとより大きなショックを受けられて興味深いかもしれない。
仕事も勉強もしたくなくてそんなことを自堕落に夢想し趣味嗜好に溺れていたら少し元気が出てきた。社畜にも楽しみは必要なんである。んじゃ仕事再開するか。で、何してたんだっけ。