言い訳

そこまでやらんほうがいいと言われると、どうやらんほうがいいのか逆に興味が出てくる。が、やっぱりハマると面倒だからやめておく。
それにしても私は嫌いなものが多すぎる。


多分、人の欠点が目につくのは、自分の中の見たくないものを見てしまうからだ。てことはだ、なにより自分が気に入らないってことだ。
何を今更。判っているさ、そんなこと。
苦しいのはどこだろう。自尊心か。クソの役にも立たないのに、何故そんなものがあるのか判らない。どうして捨てられないのか判らない。ヒヨっこの私ですらそうだ。
中島義道氏の人生を半分降りる話を読んだとき、周りの人間に向けた、ひいては自分自身に向けたエクスキューズで一冊書いちゃったようなもんだな、と思った。学者先生も大変だな、と。自分に言い訳するのに本にして刊行までしなくちゃ、収まらない自意識なのか、と。私も虚しくなってそれまでの仕事を辞めて、生きるのに必要な分だけ稼いで自由を謳歌してみたけど、そこまではしなかった‥‥。


だけどよく考えたらそりゃ当たり前だ。失うものの重みがまるで違う。
社会に出て数年、大した覚悟もなくルーチンワークに飽きただけの私と、目の前にある課題を長年とことん追及した結果の離脱とでは、比べようもない。
つーか、クズならクズらしく、ゴミならゴミなりに悩まなきゃいいのに。