休暇が終わって、今日から日常復帰である。たっぷり休んだお陰でだいぶ気分が落ち着いた。体調がよくないと気分も安定しない。単純な因果関係が一番強いんである。それにしても不安で眠れないということがなくて助かった。身体がコリすぎて寝てられないということはあったがな。
休暇中はテレビはもともとないし新聞もとってないけども、さらにネットからも極力離れて、掃除をしたり大物を洗ったりスーパー銭湯に行ってマッサージを受けたりして過ごした。それでも気になって1日に1度はあちこちチェックしてしまうのだけど、なるべく時間は短く。以前は暇さえあれば見ていたtwitterも、今の私にはキツすぎる。具体的にどんな発言がどのようにというのではなく、もう全体的なインプットのキャパ上限が天井カツカツなんだと思う。どうでもいいが天井カツカツって、丼メシの上に揚げ物がてんこ盛りになってるみたいな字面だな。
正直に申し上げると、今でも被災地や家族友人の境遇をあれこれ考え出すと暴走して取り乱しそうになる。そうでなくとも原発やらなんやら不安が多くて、どんよりと落ち込んで無気力になってしまう。私が買占めに走らなかったのは冷静に判断したからではなく、そんな気力が湧かなかったからだった。
ぽつぽつとやりとりするメールで、むしろ被災地の人間のほうが逞しく強かに腹を括っていて、こちらが安心させてもらうような始末だ。現地はキツいのはキツいんだと思う。当然だ。それまで当たり前にあった何かがすっぽり抜け落ち、それでも日々を生きなければならないとしたら、かなり神経を疲弊させるだろう。そんな目の前の問題をとにかく乗り越えなくてはいちいちが回っていかない場にいる人間を、こちらの感傷的な同情に付き合せるわけにもいかん。同情を寄せてるつもりで、心のケアが必要なのはこっちのほうだよな、まったく。
私の場合、政情不安というのか、世の中がざわざわしているだけで不安な予感を煽られているんだな。予感のままでは気持ち悪いからその不確定な不安を着せる明確な対象を求め、被災地への感傷であったり原発への不信へ転化する。特に原発については広義では業界の端っこに連なっているのでなんとなく当たりがつく事柄もある一方で、中身についてはまるっきりのド素人であり、その負の部分の大きさにはただ怖いイメージを持っているだけ。こういう立場で生半可に判ったつもりになると一番デマを撒きやすいんだろうな。撒きやすいということは、頭の中で自分でも信じ込んでしまいそうな信憑性ありげで怪しげな想像してしまっているということでもある。事実以外は嘘である。それを肝に銘じてじりじりと信頼性のある情報を待ち、それまでは余計な早とちりをしないよう心を引き絞るとしよう。
なにより無力に感じるのは、ホントのところがどうなのか知りたいと思っても、結局はどこかのお墨付きである程度の精度のデータを公開してもらわねば、それ以上は情報を取りにいけないということである。自分で各所に入り込んで実際に放射線を測ったり状況をこの目で確認できるわけではないからな。行って実物を見たって私にはなにがどうヤバいのか説明してもらわなきゃ判らんし、ということは、疑い始めるならその説明に嘘が混じっていても判らないてことでキリがない。知識がないというのはそういうことである。そして実測主義なのは現場脳だから。
わざとかっ飛ばして不謹慎な捏造ネタをバラ撒きたい衝動にも駆られるんだが、それは既にネットのあちこちで本キチさんたちが創造の限りを尽くしているので、酒の席以外でその手の冗談を言うのはやめておこう。