試験管ベイビー

心理用語でいうところの『投射』というのを考え始めると、ガラスの試験管のなかにひとがひとりずつ入っていて、それらが集まって束になってムラやコミュを作っているけど、どんなに近づいてもガラスがぶつかり合うだけでひとりひとりの周りには一定の空間が確保されているイメージが浮かぶ。両手でぺたぺたと透明なガラスの表面を触り、境界を確認する。ひとによって大きさが違って、悠々と横になる人もいれば、汲々と詰め込まれているひともいたり。自分の顔が歪んで写る表面を透かして周りが見える。たまにガラスが曇ったりもする。ときどき移動する。試験管の中でなにをしているのかといえば、最終目的は外に出ることではある。しかし出るのは怖いのでなるべく長く留まることも目的化されている。相反する矛盾を抱えて、試験管の中にいる限りは居心地をよくしようとせっせと何某か頑張っているのだ。
想像は続く。その試験管に1本ずつ紐を結び、ぶら下げて振り回し、ガチャンガチャンとぶつけ合う。そのうちガラスが割れて、破片が飛び散った不毛な荒野にバラバラと小さな人が落ちていったら、その先はどうなるだろう。そんなことを考えてほくそ笑む昼下がりである。投射にぜんぜん関係ないし。