週末日記

今週は年明け以来放置していた部屋に掃除機をかけなければと重い身体に鞭打ったのであった。ハウスダストのアレルギーがあるので最低限の掃除はせねばならない体質なのだけど、それでも自室でくしゃみが止まらなくなるまでサボったりする。工作していると糸くずやら化繊のふわふわやら切りくず削りくずですぐに部屋中がざらざらになる。となればこまめに掃除するのが本当なのだろうが、逆方向に潔く「どうせ汚れるしぃ」とあっさり諦める残念なタチである。
ここのところ忙しい熊が土曜は出勤だというのでのんびりと家事をこなし夕方から飲みに出かけ、日曜は日曜で疲れてグダグダになっている熊を転がしながら、クトゥルーマスクの写真をFlickrにまとめたり本を読んだりして、それからこれまた夕方から先日買ったマントの裏地をつけ始めた。しかし既製品に裏地をつけるなんてちょこっとのようだけど、案外時間がかかる。実物から型紙をおこし、型紙を生地に転写して裁断するまでがなにげに手間だ。それからやおらミシンで継ぎはぎして本体にかがるのだけど、合体するときはミシンを使えないのでぐるっと手縫い。私はこの手縫いの速度が非常に遅いので、何時間単位でかかってしまうのだな。結局この日のうちに終わらず、中途半端なまま次回へ持ち越しである。うぬー。
ここに載せる写真はあまり大きいと重たくなるし、小さくとも見やすいようにたいてい明るくコントラスト強めに加工する。でもFlickrへ今回はまったく編集しないで投げてみた。画像の大きさすら変えてない。タグはまとめて一発付与にして、あとはsetにまとめたくらい。これなら楽だなぁ、続けられるかも。こうしてみるとあちらはデカい写真を遠慮なくアップできるから、下手な加工が必要ないんだな。もっとも『写真』そのものじゃなくて、あくまで写っている『モノ』のほうがキモという私の使い方は、変則だろうし主旨を間違ってるのかもしれんけど。
こうして手間仕事をわざわざweb上に保存することを「マメだから」と評されたことがあったっけ。誰がどう思うかそれ自体は構わんのだけど、こりゃ確かに意思を持っていないと続けられないなとしみじみ思う息切れしがちな今日この頃なのだった。
それが何なのかといえば、端的に楽しい思いをしたいから、なのだと思う。趣味の話もしたいし知らない話も聞きたいし。話というのは必ずしも個人同士の会話じゃなくてもよくて、その話題に触れていたいということだ。雑多ないろんなものがある楽しい時空にいたい。ではそれが何で出来ているかといえばたくさんの普通の人が少しずつ持ち寄ったものなのだよね。中にはビッグネームもいるけどさ。ネット上にあがっている面白いものアレコレは、誰かがわざわざあげてくれたもの。文字にするとクサいけども、なんとなくそういうことを肌で感じたから、ささやかながら自分もやってるんだと思う。出したものを褒められればもちろん単純に嬉しいし励みになる。でもそれだけじゃあない。ここでふと我に返ってみればなんでこんなうざい御託を並べているのか、なんでも説教に変換してしまう病気だろうかと震えがくる。
あのー、アレだ、地道に種を播く行為を続けていれば、なにがしか楽しいことの恩恵に与れることもある。あるんだよ。(2回言った)つまりそういうことだ。判らなくてもそれでいい。いいんだよ。(2回いt)