読了:伯林蝋人形館(皆川 博子)

伯林蝋人形館 (文春文庫)

伯林蝋人形館 (文春文庫)

第2次大戦前のベルリンである。一章ごとに語り手が変わっていき、それぞれ時期をオーバーラップさせながら、時間軸を反復して読んでいくことになる。繰り返す間にそれぞれが語ることに齟齬が生まれ、どちらが真実なのか煙にまかれたようになっていくのは『藪の中』形式である。
第1次大戦を経て第2次大戦までのレ・ザネ・フォル。ドイツでは王政が廃止され貴族が没落し始め労働党が台頭してきた頃のことである。牧歌的な騎士道精神の薫りが色濃く漂っていたのが、兵器の進化と労働者の蜂起という大きなうねりに失われた日々の残滓はあっさりと蹴散らされる。やがて辻演説をしていたヒットラーが選挙に当選し、ユダヤ迫害の嵐がやってくる。
そうした歴史的背景をきっちりおさえながら、ベルリン貴族出身のアルトゥール、その家政婦の子ヨハンとテオドル、帝政ロシアから亡命してきたナターリャ、ミュンヘン貧民のフーゴー、裕福なユダヤ系のハインリヒ、蝋人形師のマティアス・アイ、カバレットの歌手ツェツィリエの8人の男女が絡み合い、それぞれが辿った軌跡を追う。
動乱と血の匂いに混ざる麻薬の幻覚。嘘や思い違い、目の前を幻惑する蝋人形や棺おけなど耽美的な雰囲気は目くらましとして有効である。しかし芯には淡々としながら明日をも知れぬ社会不安や自棄っぱちな退廃の空気感、元兵士のあぶれ具合を克明に描き出す堅固さがある。