関西旅行 その3:吉野篇

3日目は奈良観光である。しかし奈良は奈良でも奈良県吉野である。宿をおさえてから吉野の青い秘仏が公開されているということを熊が探し出してきて、急遽北朝見物から南朝見物に切り替えたのである。そのため、朝は少し早めに7時出発で、またもや特急に乗ってまたもや山奥を目指してひた走ったのだった。どこまで山が好きなんだ。
吉野の駅を降りたら今度は現存する日本最古のケーブルカーで上まで連れて行ってもらう。

ケーブルカーを降りたらぶらぶらと坂を上り、金峯山寺(きんぷせんじ)へ。これが山中の荒々しい環境に負けないすさまじくゴツい勇壮な建築であった。

拝観料を払って本堂である蔵王堂に入ると、大きな蔵王権現の前に障子の衝立で半畳くらいずつに区切ったスペースに入って拝むことが出来る。堂内は撮影禁止なので写真はなし。すぐそこで不断の勤行が行われており、途切れることのない読経と煙の匂いに包まれて青く塗られた迫力の権現像を見上げているとトリップしそうになる。内陣の周りをぐるっと回って、反対側からも拝む。
本堂を出たら、次は脳天神社である。その名の通り首から上にご利益がある神社なのだそうな。

脳天神社は金峯山寺と平面上の直線距離では近いのだが、石段を455段下った谷底にある。切り立った斜面に延々と階段が続く。

途中のなにやら有難そうな滝だが、見た瞬間に「インディ・ジョーンズか!」と突っ込むバチアタリなふたり。下りはまだ余裕がある。

こちらが脳天神社。頭の悪いのが治りますように。

近くの阿吽の蛙。
さて、問題はここからである。下ったということは帰りは上らねばならんのだ。石段を見上げ深呼吸してから意を決して登り始める。

途中で一度休憩し東屋のコンクリートに残された何かの足跡に和んだ以外は決して止まらずゆっくりペースでもとにかく登り続ける。写真を撮る余裕などない。止まったら終わりだ。首にかけた手ぬぐいで汗を拭い、登り切る。ゼイハア。
足腰がガクガクになりつつ、この日の予定をこなすために次の目的地へとまた歩く。吉野は役小角が修行を積んだとされる霊峰で、修験道の場になったくらいの険しい山中にもかかわらず他にも多くの社寺がある。そして南朝の本拠地でもある。後醍醐天皇はなんでこんな山の中に行宮を建てたのだろう。もっとも調べてみると更に南へいったところの山頂にここの金峯山寺と対を成す大峯山寺(おおみねさんじ)といういまでも女人禁制の修験道の寺院があるというから、ここはまだ下のほうらしいけども。
舗装されているもののかなりな勾配の坂を上り、吉水神社、竹林院、桜本坊と見て回る。吉水神社の書院がかつて後醍醐天皇があらせられたところである。




そこからバスに乗り、一気に最奥の金峯神社の下まで連れて行ってもらう。

これまたけっこうな上りの参道は、両脇が伐採されていて異様な雰囲気であった。

また息を切らして参道を登ると神社が見えてくる。

お社の奥にまだ階段が続いているのは、ここは本殿ではないということか。


ここから先は一転してひたすら下りである。

途中で吉野水分神社に寄り、

花矢倉展望台に寄り、膝がかくかくするほど下る下る下る。ちなみに写真の中央右寄り奥の大きな茶色い屋根が、最初にお参りした蔵王堂である。

人を寄せ付けないような急な斜面に手入れの行き届いた杉の木が林立しているのが、妙にちぐはぐで浮世離れした光景であった。
やっと蔵王堂のあるところまで戻るとなんとなく人里に戻った感がある。ここでもけっこうな標高だろうに、吉野の町並みには旅館やお土産屋さんが賑やかに軒を並べている。なんだか下界とは別天地のようだ。

遅い昼食を摂りくたくたになってケーブルカーで山を下りたら、吉野駅から特急で京都まで取って返し、そのまま新幹線に乗り継いで東へ。車内でうとうとしつつ帰宅したのは夜である。
今回は移動時間がずいぶんかかったな。急に行き先を変更したせいだけど、それにしてもあの山は凄かった。行った甲斐があった。3日間でかなりのアップダウンを踏破したお陰でしばらく筋肉痛になった一方で、お参りしまくったご利益か動き回って代謝があがったのがよかったのか、長引いていた風邪も吹っ飛んだのだった。
明日は番外で旅の食べ物篇である。