情緒の無い日々

仕事にかまけているうちにもうひとつの絵ブログのほうもすっかりご無沙汰で20日に一度くらいしか更新できていない今日この頃だが、忙しさの勢いに負けてこっちのほうも書かないことに馴れてしまった感がある。
はっきり言おう、忙しいのである。忙しいと言ったら負けだという妙な強迫観念があるのだが、それは20代の頃の殺人的な生活の名残なのであろう。細かいことは端折るが、貧乏暇なしで実際に倒れて死にかけた。あとは余生だと思いたい気分なんだけども、やってみると余生もそれなりに忙しいのは誤算であった。しかしここのところあまりに生活が荒みすぎて、却って効率が悪くなってストレスがたまるのでちょいとテコ入れせねばなるまい。
忙しいからアレ出来ませんコレやれませんと逃げているうちは何も出来ない。そんな精神論は百も承知だ。たいていのことは如何に疲れた自分をうまくノせるかがカギで、1日にたった5分だけ○○をしようとか、××のついでに〜〜するだけでいいとか、逆に無駄を省いて手順を簡略化して心のハードルを下げるなど、怪しげなライフハック的なことは誰に言われんでも数々考案し試している。そもそもそれなりに拘束時間の多い仕事をしながら、美容と健康の為に小1時間歩いて自炊して弁当を作り本を読んで音楽を聴いて工作をして絵を描いて勉強して酒飲んで日記書いてって、我ながらアホなんじゃないかと思う。
しかしアホさ加減は趣味だし今更どうしようもないので脇に置くとして、そうした試行錯誤の末に辿り着いたコツはオーソドックスに「タイムテーブルを作る」ことであった。余計な小細工はいらない。いまやるべきことが判ればそれでいいのである。残業で遅くなったら順次作業を諦め省いていく。試験勉強や期間限定の作業が出たら、何かを省いて充当する。単純に1日が24時間しかない以上、結局はこうする以外にないのだった。たいてい一番最初に手を抜くのが次の日の弁当を作る作業である。だから弁当は不規則に持っていったりいかなかったりする。私の座右の銘は「ゼロよりはマシ」だが、飽きっぽいのもあるけど完璧を目指したら何も出来ない状況だから出来る範囲でやればいいと自分を慰めているのだ。
そんなわけで、そろそろ風呂に入る時間なので今日は時間切れである。