読了:『崖っぷち』フェルナンド・バジェホ

崖っぷち (創造するラテンアメリカ)

崖っぷち (創造するラテンアメリカ)

エイズで死にかけている弟を看病するために実家へ戻ってきた長兄の口から迸るラテン系らしい勢いのある言葉の数々に巻き込まれる。初っ端から口汚い罵倒のマンシンガントークが炸裂し、その勢いはどこまで読んでもとどまるところを知らず転がり続け、実家の母を「気狂い女」と呼び、自らの血筋を「癲狂の遺伝子」と呪い、他の兄弟たちもその遺伝子を受け継ぐ者としてこきおろし、祖国を「腐りきったコロンビア」と叫び、ローマ教皇まで卑語で断罪する。
革命軍や左翼ゲリラ・右翼民兵がしのぎを削り、麻薬密輸、暴動などに揺れ動くコロンビアでは賄賂が横行し、ちょっとしたことで路上で人が殺し合う。民衆は貧しく政治は腐敗しているという。彼によればまさしく生きることそのものが呪われたクソッタレで、世の中すべてが救いようがなく、人生は生きるに値せず、しかし死ぬにも値しない。その中で祖母と父とすぐ下の弟だけはまるで天使のように扱われる。しかし祖母は随分前に亡くなっているし、弟は痩せ細って目の前で死にかけている。それにつれて思い出されるのが、1年前に癌で死んだ父の今わの際のことである。ということは、弟が逝ってしまったら彼にはもう大事なものは何も残されていないことになるのが、次第に判ってくる。
途中で鏡の中と入れ替わり、一人称が三人称になる場面がある。ほんの短い間だけども、その間だけ狂ったような熱い激情の奔流が少しだけ遠くなる。その途端にしんみりと身に迫るような冷たさが入り込むのだ。避けがたい死の匂いが場を支配し、懸命な兄の苦悩と悪あがきが哀れを誘う。再び罵倒が始まっても、もう流れは変えられない。途端にこのめまぐるしい言葉の数々は鎮魂の叫びなのだなとすとんと腹に落ちるのだ。
表紙は幼い頃の作家のバジェボ本人とその弟の写真なのだそうだ。