開放感の値段は三文

出来たり出来なかったりしつつも、なんとなく早起きが続いている。快挙である。食べると体内時計がうんちゃらかんちゃらいうのは効いているようなので、寝起きでせっせと朝ごはんを食べている。
早朝は大きな音も立てられないし、そんな時間から電話していたらむしろ非常識だし、ネットにも人が少ない。これを逆手に取ると世事に惑わされず誰にも邪魔されない完全にひとりの時間をのんびりと楽しめるのだな。
この朝の時間は小・中学生のころの土曜の夕方、ひとりで帰宅してから家族が仕事や学校から帰ってくるまでの2〜3時間を思い出させる安らかさだ。*1その間に何か特別な活動をしていたわけでもなく、のびのびとおやつを食べながらテレビでフルハウス世界の料理ショーを観て怠惰な平和を満喫していたっけ。
同じ頃に夜更かしして本を読んでいたのも、それくらいしか出来ない時間帯だからこそ好きなだけ出来たからだった気がする。当時からそれで寂しいと思ったことはない。むしろたまにひとりになってほっとしたいくらいだったな。基本的な性向はいまでも変わらない。いや、人づきあいが嫌いなわけではないし、それだけでは自分がよろしくない按配になると判っているのだけどね。
何者にも邪魔されない、ぽっかりと空いた時間は貴重だ。ペルソナも調子を合わせる必要もない、そもそも会話のために発話さえしなくていいのがこんなに開放感のあるものだったとは、長らく忘れていた心地である。疲れてんのかな。

*1:てことは、あの頃は週休2日じゃなかったんだな。