三回忌

いまだから言うが、あの地震の後、かなり感情的に高ぶってしまい我慢できなくなったらこっそりベランダやトイレで泣いたりしつつ1週間仕事していたけど、余震も頻繁でどんどん辛くなって上司に「精神的に限界です」と談判して10日くらい休暇を貰った。ちょうど大きな現場が終わったところでリフレッシュ休暇が使えたからそれで助かった。何も言わずに「よし、わかった」と休ませてくれた会社にも、それを受けて黙って余震の少ない地域に旅行に連れ出してくれた熊にも感謝している。被災地の方々はその頃もっと大変な思いをされていただろうし、それに罪の意識を感じないではなかったが、いったんそうでもしなければ日常生活を回せなかった。いまは遠隔地にいるけども宮城仙台は生まれてから30半ばまで過ごした土地である。家族だけでなく親戚もいれば友人もいる。愛憎半ばして悲喜こもごもなんである。
忘れるとか忘れないとかいう次元ではない。復興というより断絶があって以降は震災後がずっと続くのではないか。それを何年もかかって次第に薄めていくことになるのだろう。想像も及ばないご苦労がおありだろうが、こちらもできることを地道に続けていこう。
震災で被害を受けたすべての方にお見舞いを申し上げます。
合掌。