おんなひでり

しばらく女子と遊んでない気がする。いや、新年会を複数やってるし、そうでもないか。しかしいま無性に女同士で遊びたい。犬猫に触る機会に恵まれずしばらくぶりに愛でたいという場合に「もふ成分が足りない」という言い回しがあるが、いってみれば「女子成分」が枯渇しかかっているのかもしれない。
わが業界はバリバリの男社会であり、ご多分に漏れず弊社の社員数における男女比にも著しい偏りがある。私の日常は男まみれである。逆ハーレムといってもいい。もっとも構成する人員は美女だらけのカリフのハーレムをそのまま男女置き換えたようなハンサム揃いというわけにはいかず、ごく普通のサラリーマンばかりではあるが、私も権力を持った女王ではないのでそこに文句を言っても始まらない。それでもちょっとは嬉しいかというと、実際にこの立場になってみると予想外な要因で少し辛いのである。
女から見ると男というのは話が通じない。たぶん逆もご同様だと思う。とはいえ職場なので話をするといっても仕事である。報連相はガッチリと5W1Hを明確に責任の所在もはっきりと、なんなら書面で残しておくくらいの周到さは必要であり、私も普段からそうしている。それはそれでいいのだ。
この場合の問題はそういうことではない。自宅には自分のほかに女性はいないし、残業・休出ばかりで女友達としょっちゅう会えるわけでもない。1日の半分ちかくを職場で過ごし、取引先も現場の人もほぼ男性だ。そうすると、女同士だと「ツー」といえば「カー」で通じるあのノリに触れる機会がまっっったくなくなるのだ。先ほども言ったが、男性と女性では通じる言葉が違う。そういって悪ければなんというか文化が違うのである。ギャグの入れ方が違い、話の流れ方が違い、ひとつの言葉に含まれる意味が違う。会話というのは相手に誤解されず判るように話さなければならない。そういう意味ではどちらを向いても一発では通じ合えない相手しかおらず、雑談ひとつするだけでも脳内変換回路を経由して通じるように言い換えねばならぬのである。
おそらく大多数の人は無意識のうちに切替えていて、そんなものが意識にのぼることもないんだろう。バランスがとれていれば当たり前でどうということもない。しかし女性と話すことが絶無の偏った日々を送っていると、ときどき疲れて無性に女性とお喋りしたくなる。どうかするとコンビニの女性店員さんにすらふと慕わしさをおぼえてしまうほどだ。いまでは数少ない他部署の女性社員とふたことみことお喋りするのが心のオアシスになっている。そのうちバス停や何かで誰彼かまわず話しかけ始めるか、気の利いたママのいるスナックに通い始めるんじゃないかと自分でも心配だ。