死ぬタイミング

ある天気のいい夏の日だった。朝からなんかだるいなとは思っていた。そういや二、三日前から調子悪いな、夏バテかなぁ、と軽く考えて普通に出勤したのだが、昼前に急に震えが襲ってきた。真夏だというのに、背中や二の腕に鳥肌が立って仕方ない。オコリのように震えるってこういうことかぁ、と他人事のように思った。同僚が私の異変に気付き「ヤバいよ、絶対おかしいよ」と言って、すぐ自動車で自宅まで送ってくれた。
ひとりで熱を測ってみると、三十八度を越えていた。とりあえず寝た。私はしょっちゅう風邪を引いているので、どうせいつもと同じだろうと高を括っていたのもある。一晩寝れば、熱は下がるだろうと思った。
次の日、目が覚めてみると、なんだかおかしい。「ただの風邪」が「ひどい風邪」だったんだ、と思った。検温してみると、三十九度を越えている。
普段ならここで病院へ行くけど、このときはちょうどお盆休みの真っ最中だったし、真夏の屋外に出るのがとても億劫だった。手持ちの熱冷ましをのんで、もう一晩我慢した。
だが、その次の日になっても、熱はまったく下がっていなかった。
これはマズイ。病院に行ったほうがいい。一人暮らしで誰も助けてくれる人はいなかったから、自分で動けるうちになんとかしないと、と遅まきながらやっと悟ったのだ。薬を貰って熱だけでも下げなくては、どうにもならない。近所に救急病院があったので、お盆中でも受付してくれた。ならもっと早く行けばいいのだが、もう熱のせいでまともな思考力はなくなっている。
問診で腰が痛いと訴えたら尿検査をされ、その結果、腎炎だったことが判明した。医者は本当は入院させたいがベッドが空いていないから、毎日抗生物質を点滴しに通院するようにと言った。そしてよく来てくれた、そのままだったら死んでいた、と脅された。
そのまま処置台に寝かされ、延々と点滴を何本も打たれた。それが効いたのか私の身体は急に病魔への抵抗を強め、ただでさえ高熱だったのに更に熱が上がっていった。点滴は何度も打ったことがあるが、途中で検温されたのは後にも先にもこのときだけだ。看護婦さんが周りをバタバタ走り回っていた。
熱を下げるために病院へ行ったのに、もっと高熱になってふらふらと帰宅した。測ってみたら、四十二度を越えていた。着替える気力もなく、畳に身体を投げ出したまま、あれ〜? ヒトの致死熱ってどれくらいだっけ〜?*1 とぼんやりしていた。
それからどれくらい時間が経ったのか、ふいに天啓がひらめいた。
熱を下げねば。
座薬を貰ったはず。アレを使うのは、今この時。そうだ、ぼけっとしている場合ではない。辛くても着替えて水飲んで、ちゃんと寝なくては。
その晩、大人しく布団に横たわっていると、身体の中で本格的にウィルスv.s.免疫抗体のドンパチがおっぱじまったのが、体感できた。とにかく苦しくて堪らない。無意識のうちに唇を噛みしめていて、その後何日も傷痕が残った。
内部で繰り広げられる手出しできないミクロ抗争のゆくえを案じつつ、一人暮らしの部屋の四角い天井を眺めていると、自分の死がとてもリアルに感じられた。ハァハァと耳元で聞こえる荒くなった息遣いのほうが、よっぽど遠いものごとのようだった。気負いも衒いもなく「このまま死ぬのかな‥‥」と意識した。
それまで自分が死ぬときはなんとなく、後腐れがないようにできるだけ始末しようと思っていた。こんなふうにひとりで、会社にはやりかけの仕事があるし、好きな人もいるし、まだなにもまともに生きてないのに、中途半端に自分が死ぬなんて予想してなかった。交通事故で即死する他は、病気にしろ自殺にしろ、死ぬことが判ってから少しは時間に余裕があると甘くみていたのだ。
そんなことはない。実際にはちょっとした病気や手違いで、簡単に死はやってくる。それを実感しつつ、現世に残したあれこれを考えながら、でも仕方ないか、そういうもんなんだな、と観念した。残念な気持ちが少しと、さばさばとした諦めが入り混じっていた。意外と妄執はなかった。


次の朝、目を開くと抗生物質の援軍を得た身体が勝利していた。熱は嘘のように下がり、空腹を感じた。
人は結構簡単に死ぬけれど、意外としぶとくもある。

*1:一般に四十二度が限界といわれているが、実際にはそれだけでは死にゃしない。