期限は十三日:「ディアスポラ」(グレッグ・イーガン)

年末に図書館で借りた本を一冊も読み切ってない。一昨日は酔っ払い、昨日は東京まで出掛け、今日は年賀状の返事を画像いじくりソフトで作って遊んでいたら一日が過ぎてしまった。明日は明日でまた出掛ける予定だ。
正月って意外と忙しいな。ボケっとする暇もない。
最初にイーガンに手をつけてしまったのが敗因か。

ディアスポラ (ハヤカワ文庫 SF)

ディアスポラ (ハヤカワ文庫 SF)

これなんだが、相対論だとかワームホールだとか不確実性がどうとか、小難しい理論について延々とこねくりまわしている。私にとって不確実性ドライブといえば、アレですよ。ええ、黄金の心号でしょう。レストラン理論でしょう。まるで『銀河ヒッチハイク・ガイド (河出文庫)』がイーガンのパロディのようだと思ったけど、書かれたのはヒッチハイクガイドの方がどうやら先らしい。
それはともかく、数学がこの世で一番美しいとはよく聞く言説で、なんとなくイメージでは判らなくもない。ここでイメージのみで大掴みしている時点でもう、私が数学を理解してない何よりの証左なんだが。何度もいうが、私は学生時代の偏差値が国語は八〇台、数学は三〇台という、これ以上ないくらいの文系脳である。数式を解くにも流れとイメージだけで何とかしようとするので、力学の先生に呆れられた。三桁になるとまともに数も数えられない私だ、理論だの次元だの展開されてもまさしく馬の耳に念仏である。
そういう部分は斜め読みしているわけだが、それこそが物語に厚みを与えているのは確かだと思う。シナプスが発火するような推進力と、現実に起きる痛みを伴う悲劇の対比が小気味良い。不謹慎だが読んでいる間はシナプス側に移入していて、しかもその目を通して見ている他人の肉体的な痛みも想像できるから、そのギャップがおかしな疑似体験になるんだろう。思考と感触がクロスして不協和音がおきる。
読者を選ぶ小説なんだろう。私のように素質のない者にとっては、実験的な読み物として邪道な解を求めるしかないかな。