ガッカリした心持ち

私の言うことは共産党の人みたい、なんだそうだ。
すれ違いというか、伝わらないもどかしさというか、所詮他人なんだからしかたないか。
だけど情緒を共有できないってのは淋しいな。
拈華微笑とまでいかなくても、だ。言葉にならない感覚とか、生きてきてこその実感なんかは説明のしようがない。そういった諸々のことを、ある事象に接したら想いをいたしその人なりに「嗚」と嘆息する、そういう瞬間を共有したいというのはないものねだりなのか。
そりゃ他人の心の中は判らないし、その瞬間に感じていることは微妙にズレているのかもしれない。だけどそこはそれぞれでいいと思う。
ただ、そういう時間だ。
心が動いたときに、共にいた相手。ある気持ちになると思い出す相手。そんな情緒があれば、たとえ人は生まれてから死ぬまで孤独なんだとしても生きていける。


言葉にできないことをひとことで括られてガッカリすると、思い出す相手じゃ淋しいだろう。