読了:傭兵ピエール(佐藤賢一)

傭兵ピエール〈上〉 (集英社文庫)

傭兵ピエール〈上〉 (集英社文庫)

十五世紀、百年戦争下のフランス。王家の威信は失墜、世には混沌と暴力が充ち、人々は恐怖と絶望の淵に沈んでいた。そんな戦乱の時代の申し子、傭兵隊を率いる無頼漢ピエールは、略奪の途上で不思議な少女に出会い、心奪われる。その名は―ジャンヌ・ダルク。この聖女に導かれ、ピエールは天下分け目の戦場へと赴く。かくして1429年5月6日、オルレアン決戦の火蓋は切られた…。

傭兵ピエール〈下〉 (集英社文庫)

傭兵ピエール〈下〉 (集英社文庫)

オルレアンの戦いから二年、田舎町の守備隊長となったピエールのもとに、ある密命が届く。英軍の捕虜になり、魔女裁判にかけられたジャンヌ・ダルクを救出せよ―。愛する女のため、ピエールは独り敵地深く潜入する。ルーアンの牢獄で再会した二人。だが、ジャンヌの火刑執行まで残された時間はあと一日…。傭兵と聖女の運命的愛を描く歴史ロマン、堂々の大団円。

貴族の私生児ピエールは「シェフ殺し」*1という異名で同業者からも恐れられる、しかし妙に懐が深く部下の面倒見のよい百戦錬磨の傭兵隊長。ジャンヌは小柄でまっすぐで可愛い、潔癖な天然少女。神の電波を受信したりもする不思議ちゃんである。ふたりは戦場で出会いお互いに惹かれあうが、その後いろんな事情で別の道を歩む。その間に好色で女に弱いピエールは別の女と結婚しようとしたりまた別の女と子どもを作ったりとほうぼうで浮名を流すが、やっぱり心が結ばれているのはジャンヌであり、運命の変転によって敵の手に落ちていた彼女を救い出しにむかう。
こうして書くと随分ロマンチックな展開だが、ジャンヌ・ダルクの逸話自体が悲劇のヒロインのイメージであるので、大仰なほどの筋書きがよく似合う。しかしこういうのを読んで素直にジャンヌに感情移入できるほど厚顔にはなれないので、そういう意味ではちと辛かった。
オルレアンの戦いを軸にその後までを含め、思い切って虚実を織り交ぜた冒険譚である。特に下巻に入ってからはお楽しみのエピソードの綴れ織りとなる。傭兵同士の闊達なやりとりも痛快だし、青髭ジル・ド・レは出てくるし、歯に衣着せぬエロあり暴力ありのエンターティメントであった。普段は通勤途中でしか活字を読まないのだが、起伏の激しい展開に引き込まれて、久しぶりにベッドに本を持ち込んだ。
この時代、人数の少ない親衛隊や守備隊を除いて、戦争のための常備軍という発想はまだ少なかったため、頭数が必要な戦での主要戦力はその都度雇われる傭兵であった。傭兵は頭目(シェフ)を中心として集まった隊ごとに、それぞれ雇ってくれる戦場を求めて旅回りをしている。傭兵は季節労働者であった。春から秋にかけて熾烈な闘いをしても、冬には戦争は行われないのであっさり軍隊は解散される。冬場は行軍するにも攻めるにも、寒さや雪に阻まれ消耗が激しくて戦いにならない。攻める側が止めれば守る必要もないというわけだ。
しかし冬になれば解雇される傭兵隊も、やっぱり食べていかねばならないのである。戦争があるうちは賃金を貰いつつ前線について移動し、休戦になり開放された地点で各傭兵隊は盗賊団に早変わりするのが常であった。いってみれば職業軍人が盗賊化するのである。それが組織立って村々を略奪してまわる。いまとは倫理観も違う。遠慮なく食料や金品を奪うのはもとより、男は見つけ次第切り捨て女は犯すのが当たり前だった。子どもも年寄も容赦なく刃の露となる。そんな残虐非道な光景がこのころのフランスでは珍しくもなかった。もちろんキリスト教の教えはあったし、それらは恐ろしい罪とされていたが、それ以上に生きていくのに厳しい時代のこと、おきれいな騎士道精神は貴族のものであり、庶民にはより単純な弱肉強食の論理が強かったのであろう。
冒頭でピエールの率いる傭兵隊もある町を略奪し、お約束で若い娘を軒並み浚ってきていた。これから始まる戦争で雇ってもらうために赴く途上の路銀稼ぎである。普通なら女は旅の邪魔になるので、誘拐して楽しむだけ楽しんだらその場に捨てて旅立ってもおかしくない。しかし馬もない女の身では、拉致されたところから故郷まで戻ることも出来ない。ここで見捨てられては、娘たちには生きていく術がないのである。そこで彼女たちは必死で隊についてくる。死ぬより、良くて不特定多数に身を任せる娼婦になるより、炊事洗濯を引き受け馴染みの傭兵の女になったほうがマシだからである。ストックホルム症候群では片付けられない話だ。
男も同様で、まだ子どもといってもいいような少年が、自分の村を襲った傭兵隊にくっついて歩き、家族を殺し自らを路頭に迷わせた隊にとりいって、なんとか仲間に入れてもらおうとする。それしか生き延びる方法がないのである。脱落したらすぐにも狼の餌食になりかねない。
敵役の女の不幸自慢もまた凄まじい。故郷の村で略奪に遭い、目のまえで家族や婚約者をゴミ屑のように殺され、自身も散々傭兵のなぐさみものにされたあげくに面白半分に剣で肉を裂かれ、そのまま全裸で冬場の野外に放置されたというのである。この時代にPTSDという言葉があったら、とても生きていられない気がする。しかしそんな可哀想の限度を超した身の上でも、誰も他人に同情する余裕などないし、いちいち死んでもいられない。娼婦になろうが妾になろうが手を血に染めようが、必死で生きる道を探さねばならなかったのだ。
そんな中にあって、「ラ・ピュセル」と称されるジャンヌ・ダルクは際立っていた。神の使いとして不義を憎み、とにかくきれいごとを並べる女である。この時代の女とは、聖女か淫売の二種類しかない。つまり処女かそうでないかである。まるで毒男非モテの極論だが、当時の一般的な考え方では女は美しい男を原罪に魅き込む忌まわしい存在でもあったらしい。反面、聖女や聖母という夢をころりと信じたがるような側面もあった。女から見ると非常に勝手な話ではある。それはともかく、「ラ・ピュセル」は聖女であった。ここに描かれるのは神の威光に守られ、男の恋心に守られ、きれいごとをきれいごとのまま保持できた幸運な女である。ただ意味も無く虫けらのように殺される善男善女も多い中、これだけ生命の値段が安いとなると、火あぶりになるのがナンボのもんじゃい、という気がしてくる。心の傷だの身体の調子だのと気遣ってくれる男がいるだけ、だいぶ幸せである。
もっとも、「ラ・ピュセル」という仏語は現代では「処女」とか「乙女」という感じだが、十五世紀当時のニュアンスでは「下女」、せいぜいが「娘さん」くらいの意味になるらしい。

「ジャンヌ・ラ・ピュセル」という呼称は、ありふれた名前を持つ若い女であること、それも奉公に出なければならない程度の身分と、それくらいしか伝えていない
佐藤賢一 英仏百年戦争 (集英社新書) P159より

だいたいが、ジャンヌ・ダルクという女がいたという逸話自体、十九世紀にナポレオン・ボナパルトが発掘し大々的に発表するまで、解放されたオレルアンとジャンヌの故郷であるドムレミ村で細々と語り継がれる地域限定の昔話でしかなかったのだそうだ。
聖女の実際は、当時の政治的な駒でしかなかったかもしれない。しかしそれでもなお、生きて動いていた聖女はどんなだっただろうと想像することは楽しい。

*1:シェフとは傭兵隊における隊長のこと。傭兵隊は寝食をともにする一座であり家族同然の集団でもあったので、シェフ殺しは父親を殺すのと近い意味あいがあった。