読了:アームストロング砲(司馬 遼太郎)

アームストロング砲 (講談社文庫)

アームストロング砲 (講談社文庫)

幕末随一の文明藩、佐賀藩鍋島閑叟(なべしまかんそう)は、若い秀才たちに極端な勉学を強いた。近習秀島藤之助は、世界最新の高性能大砲の製造を命じられ、頭脳の限り努力する。酷使された才能は弊れたが、完成したアームストロング砲は、彰義隊を壊滅させ、新時代を開いた。風雲の中に躍動する男たちを描く、傑作9編を収録。

幕末のものを読むと、いつも人間のなんと小さなことかという念にとらわれる。
明治は進取の気風に満ちた輝かしい時代であったとともに、無辜の人々も英雄達も黒々とした激動の嵐に呑み込まれていくしかなかったようにも思える。幕府も社会も人間が作ったものなのに、いつの間にか肥大化し容易に手懐けられなくなった荒ぶる化け物になってしまい、人柱を次々と捧げて鎮めるしかなかったように。正義を騙って山賊のような輩が表舞台を闊歩している暗黒の時代。
社会が大きく変わる過渡期には、治安は必ず悪くなる。田舎のどん百姓に生まれた人間が、流れ流れていつどこで袈裟切りにされるか判らない身の上になっていたりする。それも敵に切られるとは限らない。味方に疎まれて始末される場合もある。なにが正しくてなにが間違っているのか。拠り所となる常識が壊れてしまったとき、ひとは自分のみを信じて生きるしかない。世知辛い世の中の一丁上がりだ。しかしそれ故にドラマチックではある。
どの時代にロマンを感じるか、いろいろ好みというものがある。日本に限っても、遠き神代の記紀古墳時代、平安の雅な風がいとおかし。武将が群雄割拠する戦国時代、原色のキラキラが花開く安土桃山、粋な江戸の風俗が面白かったり、幕末ピンポイントで血沸き肉踊り、大正・昭和初期のレトロな和洋折衷の台頭。ひとそれぞれお好きな趣向があるだろう。歴女といわれる人たちは戦国時代が好きなのかな。
私の場合はどのへんが好きという好みがあまり定まっていない。どれもこれもみな中途半端である。日本史か世界史かということでも決めかねる。歴史の授業で古代から始めるのではなく、近代から時系列を遡った方が判りやすいだろうという話をどこかで見かけたのだが、それはそれで面白いかもなー、などと拘りがない。拘りがないということは、あんまり覚える気もないということで、いつまでたってもさっぱり頭に入ってこない。三国志水滸伝宮本武蔵も、小説・漫画・映画・ドラマ等々で何度も触れているのだけど、細かい登場人物や事件の流れなど全然判っていない。これで歴史物が好きですなんて口が裂けても言えない。同じ理由でSFが好きですともいえない。文学がとも漫画がとも映画がとも、なーんにも主張できない。つくづく『オタク』にはなれない性向である。