映画:月に囚われた男(監督:ダンカン・ジョーンズ)

宇宙飛行士のサムは、エネルギー資源のヘリウム3を地球に送るため月へと派遣された。契約期間は3年だ。地球との直接通信を許されておらず、話し相手は人工知能搭載ロボットのガーティだけだ。楽しみにしていたテレビ電話での妻テスとの会話も衛星事故によって交信不能となってしまっていた。それでも孤独に耐え任期終了まで2週間を切ったある日、サムは自分と同じ顔をした人間に遭遇して…。

翻訳短編SFを髣髴とさせるような、非常に手堅い正統派ど真ん中のSFであった。
登場人物はたったひとり、月の上に作られた居住空間と、必要に応じて採掘機との間を往復するだけである。話し相手は基地のAIのみ。三年間住み慣れた狭い基地の中での事件で、地球の出来事はほとんど伝わってこない。この究極に無駄を廃したガチガチの設定を、最後まで守り抜いている。
AIもイマドキ流行の表情豊かな人型ではなく、無骨に四角張ったただの機械なのがよかったな。ウィンウィンと小さな音を立て、天井のレールに沿ってしか動けない。小さなモニターに表情を表すニコちゃんマークのようなものが表示されるが、『笑顔』と『真顔』と『困り顔』の三種類のみである。
最後にストーリー上最大の『何故?』が残る。あまり説明をしないシンプルな設定なだけに、いろいろと想像力を働かせる余地がありそうだ。人格とは何か。人の記憶とは。生きているってなんだ。切実な想いは行き場を失い虚しく宙に拡散していく。ここまで単純な構図でありながら、浮き彫りになる悲哀はここまで深く切ない。
CGで絵はなんでも作れるようになった。しかしなんでも魔法のように速く滑らかに動くのがリアルなわけではない。きっちり設定と状況と出来事を積み上げて出来上がる精緻な絵は、地味ながら地に足のついた迫力がある。ネタに流れず、奇抜さに逃げず、渋さを貫いているのは逆に新鮮だった。素晴らしかった。記憶に残る一本になりそうだ。