読了:『宮廷の道化師たち』アヴィグドル・ダガン

宮廷の道化師たち

宮廷の道化師たち

いまはエルサレムに移住した、かつて強制収容所に入れられていたせむし男の回想である。ちょっとした特殊な能力があったために収容所を仕切るナチス将校に利用価値を見出され、士官同士の交流の場で道化師役をさせられていた。他に話芸の達者な小人、のっぽの大道芸師、よく当たる占星術師という同じ境遇の仲間がいて、彼らはいつでも4人組だった。粗相をしたら当然殺される。しかしそのお陰でテーブルの下で将校の飼い犬と一緒に残り物を漁ることもできたし、きつい労働からは外されていたので、他の囚人たちが飢えと疲労と病気で死んでいく中でも生き残ることができた。
「世界にただこのことを忘れさせないために、生き残りたいと願った…」という言葉が重い。しかし道化師らしい物哀しくも滑稽な話術に乗せられて、するすると最後まで読んでしまった。憎いナチス将校にへつらいまでして生き伸びて、収容所を出て故郷へ帰ってみれば、たったひとりの肉親である兄は収容所で殺されており、収容所に入る前に逃げるよう助言をくれた恋人もまさにそのために一家ごと処刑されていた。寄る辺をなくし未練もなくし言葉にならない罪悪感を背負って、なぜ生きるのか。
こんなスケールの大きい込み入った命題には薄すぎる本である。しかしシンプルかつ的確な筋運びで、牧羊犬に追われる羊のように簡単に誘導されてしまうのだ。嘘のような小説である。
収容所を出てから、4人の仲間はばらばらになった。それから20年後、遠いエルサレムにそれぞれの消息が届くのだ。収容所を出てすぐに逆説的に死を選んだ者。神経を苛み回復するのに20年かかった者。復讐を誓い、すべてを擲って敵を追い詰める者。それぞれの道筋が、収容所後の人々の辿った心の道筋を象徴したものなのだろうか。
「人間は皆この地上での神の宮廷道化師にすぎないのか?」という問いに、最後のたった数ページで宇宙的な回答が鮮やかになされるのが圧巻であった。