最後の望み


望みは何かと聞かれたら、なんだろうなぁと最近考える。大望を遂げ、人気者となり、大金を手にすることか。それもまた好しだが、それは突き詰めれば望む生活を手に入れるための道具なのだよな。究極は外部から苛められない程度に身を保ち、好きなことが出来る静かな環境があって、将来も食べていくのに不安を覚えずに済めばいい。そこに望むべくは気の置けない友人と犬がいることだろうか。私はミーハーなわりに地味な根暗なので、自然にそういうところに落ち着く。将来の不安ってあたりはかなりハードルが高いけどな。
あとは自分自身がいろいろ面白がりたい、それには知りたい理解したいという望みになってくる。端的にもっと頭が良ければいいのにな、という身も蓋もない願望である。何某が判ればもっと面白いだろうに、という場面に出くわすことが多々あるのである。昔は頭が良ければそれで偉業を成し遂げたいとか人に尊敬されたいという気持ちが大きかったけども、だんだん丸くなってそういう外的要因は二の次になってきた。自分さえ面白ければいいので我儘になってきただけかもしれない。読むための時間、調べるための手段、実際に行ったり見聞きしたりのリソースを割けるだけの自由が欲しいと同時に、それを効率よく吸収できるだけの頭脳が欲しい。そうして自分でもなんかごちゃごちゃやって昇華したい。
なんなんだろうな、このやりたい感って。最後に残るのがこれなんだろうか。