読了:「旅涯ての地」(坂東真砂子)

旅涯ての地―DOVE UN VIAGGIO TERMINA

旅涯ての地―DOVE UN VIAGGIO TERMINA

残りを週末に一気に読みました。
行きがかり上、夏桂はカタリ派の女たちについて「山の彼方(ウルトラ・モンテス:カタリ派の総本山)」に行くことになる。異端派として弾圧される側の女たちと逃亡奴隷の夏桂は、身を隠し追手をかわしつつアルピ(アルプス)の山深く潜り込んでいく。
ところどころで、おかしげなモノ(伝説の妖怪のようなものや臨死体験など)と遭遇するのだけど、その他は建物の描写も風物も人物も、とても緻密に、言ってみれば泥臭いほど現実的に書き込まれていて、地に足の着いた感じで進められていくので、そんな目の迷いも人間的なんだなぁ、と思ってしまう。説明のつかないものを非現実として排除してしまうのではなく、判らないなら判らないなりに、そういう曖昧な部分も残すということなんだろうな。
作中でカタリ派の教義について議論が交わされるんだけど、キリスト教については私自身は信者ではないし、世間一般程度の知識しかないので、内容についてはなんともかんとも。諸説入り乱れてかまびすしい、マグダラのマリアに焦点が当たるのだけど、どこでサゲるのかなぁと思ったら・・・・そこだよねぇ、やっぱり。
ダヴィンチ・コード」を読んだとき、その家系はマグダラのマリアとイエスその人の直系で、そこに女の子が生まれたら時のフリーメイソン団長が女の子供の父親になる、つまり表向きの家庭とは別に、女と秘密の家庭を持つという(ちょっとエグいか?)想像をしたのですが、いき過ぎですかねぇ。それぐらいやりそうに思えるが。
脱線しましたが、二章からは夏桂を追うマルコ・ポーロと、ヴェネツィアの人々との往復書簡が挟まり、また夏桂の語りが始まります。相変わらず皮肉で頑固で、淡々とした語り口で、縺れた糸を解くように、悲劇的な最後に向かって進んでいくのが堪らない。
エピローグは冷たく澄んだ山の空気が見えるようでしたよ。
しかし、こんな小説を書く人だったんですね。もっと早く読めばよかった。だから本読みはやめられない。