「生まれつき頭が悪いんです」って、おい。

「片付けられない女たち片づけられない女たち」で認知されるようになったAD/HD(注意欠陥/多動性障害)やADD(注意欠陥障害)。なんだかなぁ、と思うのですよ。そういう私もADDのケはありありなんですが。当て嵌まらないのは、掃除や整理整頓は出来るぐらい。というか、多分片付けるのが好きだ。好きなことは出来るのが、ADDの特徴だから。
医学的に根拠があるのかどうか、学説として認められているのがどうか、私には判断できないのですが、ネットを逍遥していたらこんな説明を見つけた。

ADHD(ADD)は、農耕社会に生き残った狩猟民族の末裔なのである。
http://kids.gakken.co.jp/campus/jiritu/medical/backnumber/02_07/top.html

つまり、現代社会は農耕社会が発展したもので、人類も農耕民族型が多く残っている。その中で狩猟民族型の遺伝子が強く出ている人を、軽い障害だと認定しましょうってことだね。
ちょっと微妙な気持ちになる。
もしそれが本当だとしたら、果たしてこれは障害なんだろうか? ああ、私はずいぶんすり合わされているほうだろうし、まんま狩猟民族的な性格で周囲との摩擦がキツイ人にしてみたら、逆に障害の認定をされたほうが救いになることもあるというのは判る。私も過去に病気を認められて、ずいぶん救われたクチだ。
だけどこれは厳密に言ったら、障害というより種類なんじゃなかろうか。いろんな人がいる。そういう人もある一定数はいる。後は個人の問題。それじゃダメ・・・・なんだろうなぁ。
多動、無計画、約束や時間を守れない個を許すというのは、集団を作ることで自身を守る農耕民族にとっては、嫌悪の情を超えて社会の枠組みを揺るがす危険な存在だろう。蛮族とか、まつろわぬ民とか、障害者とか、ラベリングして囲って区別して、初めて平穏に「そういうことならそれなりに」と受け入れられる。
差別も障害も、便宜的なものなのだね。不思議もないけど、これで初めて実感したよ。
農耕社会では集団を守るために個々の行動を規制し、許容範囲から出た部分を刈り取るという方式だと思う。はみ出す人間に対しては、個別に潰す苛めという機能が発動する。全体を維持する社会というのが特徴だ。
しかし狩猟型の人は押さえつけられるのを嫌う。逆に競争や挑戦は大好きだ。だから「〜しなくちゃいけない」ではなく、「〜できるかな?」のほうがうまく動ける。このノリで煽てなくちゃ何も出来ないというのが、能天気だし子供じゃあるまいし付き合うのが面倒臭いとか、逆に扱いやすいと蔑視される要因なんだろう。ただ瞬発力と行動力は凄いので、戦乱の世とか社会の黎明期には良いのかもしれない。乱世の奸雄、曹操孟徳もきっと狩猟型だ。
良く考えたら、ウチの社長も絶対に狩猟型だ。なんでこんなだらしない社長に私が耐えられるのかというと、きっとどこかで彼の行動様式を理解できているからだ・・・・という、とても厭なことに今気がついた・・・・。