気の持ちよう

私が鬱病に罹ったとき、父は「鬱病なんて存在しない。そんなものは気の持ちようだ。精神科の医者なんてインチキだ」と言い放った。そのことは今更どうでもいのだが、今回はその気の持ちようについてである。
鬱とかストレスなんてのは気の持ちようだ、という根強い言説があるが、冷静に考えるとそれもまた真ではあると思う。今の私は調子を崩すことはあっても、医者に行かねば社会生活がままならなくなるほど悪化することはなくなった。それは一度抜けた道筋を覚えているからということもあるし、もうひとつは病気になっている暇がないという身も蓋もない理由もあると愚考している。私は専門家でも宗教家でもないので、自分でそう思っているというだけの話だが。


気の持ちようとひとことに言うが、気の持ちようなんてそう自律できるもんではない。
例えば、あなたの目の前に突然子牛のような大きさのドーベルマンが現れ、牙をむいて向かってきたとしよう。
そのときの恐怖をいまここで想像し、その瞬間の心持になれるだろうか。血管が縮む感覚、脳に分泌されるアドレナリン、視野が狭くなる感じ、交感神経がパニックを起こして失禁するかもしれない。コレを読んでいるモニターの前で、想像するだけでその状態に自分をもっていけるか。
私もできないが、おおかたの人だって無理だと思う。
気の持ちようっていうのは、そういうことだ。
暇だからなんて簡単に言うのも、真否だけを問題にするなら間違ってはいないのかもしれないが、それは心頭滅却すればという修験者レベルであって、笑い話にはなっても修行も苦行もこなしていない人間が本気で口幅ったいことを言ってもちゃんちゃらおかしいだけである*1。現在進行形で病気で苦しんでいる人にパラレルワールドでの話をしても救いにはならない。
しかし、誰かにしたくなる話ではある‥‥。

*1:父のことは置いておいて、私が他にこの意見を拝見したのは密教の僧侶が書かれたものだったので、そこは納得したが。