そんなに悩むな

ふと気が向いたので鬱陶しいことを書いた。
自分の女としての価値というものを、実はあまり考えたことがない。有効活用できたと思ったこともない。
男女差というのは、日常の小さなことから常々感じているけれど、私は女に生まれてそのまま女として育ち生きてきたので、いろんな場面で感謝や憤りを都度感じつつ、しかし性別や容姿が他の人生だったらどうなのか比べてみることは不可能に近いし、多分このまま死ぬまで女として生きていくのだろうから、比べたところであまり意味はないのかなと思う。
過去を振り返ってみてもあまりモテた験しがなく、お付き合いしたい男性がいればこちらから狩るものであった。狩るというのが不穏当なら、ひっかけるでも粉をかけるでもいいが、まあ、私の性向からくねくねするのが下手糞でいつもど真ん中直球ストレートでもスピードはないよ、頑張ってガーッと全力疾走して飛びつき獲物を咥えて持って帰るような様相を呈していたと思う。なんにしても上手くいくこともあればいかないこともあった。
周りをぐるっと見渡しても、何もしないで一方的に向うから迫られるなんて、そんな少女マンガな展開はそうあるもんじゃない。*1多くは男も女もそういう場に身を置いて、ある程度特定の個人に好意を顕わにしたりするといった能動的な言動がなければ恋愛なんて適わないものだ。一般的に女性より男性のほうがガードが緩いらしいので、男性諸氏のそれよりも私の狩りは楽だったんだろうと推察はするが。
そこにはやっぱり機を見る目とか上手くいきやすいセオリーとかテクニックとかも存在するのだけど、恋愛というのは畢竟人間同士の交流なのであってそんなに特別視するもんでもないんじゃないかと思う。
一方で異性の友人はできやすいほうだと思う。私がいままで出会った男性は、私が落ち込んで相談しても優しく慰める方向にはいかず、逆に叱咤激励されることが多かった。反対に男性から人生相談を受けることもままあったりして、女にしとくのはもったいないと言われたことも一度ならずだし、お互い友達として出来る手助け得手不得手で役割分担のようなギブアンドテイク・にぎにぎシェイクハンドな関係を築くことが多かった。それはとても居心地が良いものだし、淡交を好む人が相手ならずっと続いていける。オトコの替えはいても友達の替えはきかない、という見方もできる。
自分が性の対象になるというのは、まあ、痴漢やセクハラなどの経験もあったし、生物学的には確かに穴があるわけだからそういう意味ではそんなもんなんだろうというぐらいで、改めてひとりの女性として魅力があるのかというと、決してそんなことはないなと自分で苦笑してしまう。若い頃からそんな感じでジーパンばかり穿いて過ごしてきたのに、やりたい盛りも過ぎた今は女としての商品価値など風に吹かれた塵にも等しいんだろう。まあ、他人から見た自分なんて判ったもんじゃないが、そこらへんが妥当なセンなんだろうなと想像している。
逆にそういう気負いから逃れて、今のほうが好きな格好やふるまいができたりするから、大人って楽しいな。

*1:そうはないが、たまにはあるな。人間関係というのはイメージで出来ているので付加価値を上乗せすることができて云々、というのは長くなるので別の話。