言いたいことは何もない

ここ二、三日目眩がひどくて寝てばかりいた。職場の机の下でも少し寝た。
夏バテだったのかもしれない。涼しくなって気張ってた身体の緊張が解けたのか、季節の変わり目でのギアチェンジに手間取ったのか。膨張した空気に合わせるために溜め込んでいた熱がしゅるしゅると抜けていく。東北育ちの私には身体ごと縮むような、本来の扱いやすい大きさに戻ってやっと一息つけるような心地すらする。
暑いのもそう嫌いではないが、やっぱり涼しいほうが身に馴染むのだ。


何千年も続いた宗教というのは深読みの極致である。

和尚に一人の僧が頼んだ。
「私清税はきわめて貧乏です。何か施しをしてください」
和尚は「税さん」と呼んだ。清税が「はい」と答えると、和尚は
「銘酒を三杯も飲んでおいてまだ唇を潤していないというのか」
と言った。

たったこれだけの文章で、

満たされないまま施しを求め続けるということは、人間の飽くなき欲望にも通じる。自分が貧乏であると感じ、いつもハングリー状態でガツガツするあまり何を求めているのか分からないまま欲望だけが残る状態こそが、常に満たされない不安心をもたらすんである。いわゆる求不得苦というやつである。なにが不安だというのか、お前の心を目の前に取り出して持ってきてみよと達磨さんも言っているじゃないか。
解決する一つの方法としては、欲望自体を否定してしまうというのもあるが、それをやっちゃうと欲もなければ人は向上しないし、究極は無感情の植物状態、虚脱した重度の鬱になってしまう。
欲求があるのは人として正しい姿である。しかしその内容を吟味し何が必要で自分が何を求めているのか自覚しない教えて君じゃ、どこまでいっても足るを知ることはできないんじゃないの。

とかなんとか解説が付くんである。空気嫁どころの騒ぎではない。ここまでくると余計なお世話だ。とりあえず粥を食べたら鉢は洗っとけ。*1
それはともかく、今日から弁当を再開した。無理しない範囲でぼちぼちとやっていこう。米を買わねば。

*1:無門関ネタ。あまり面白くない。