休み明け


三連休も特に何ということもなくのんびりと過ぎた。洗濯と掃除をし、映画を見てビールを飲む。秋刀魚ときのこご飯を食べる。無理矢理でも季節感を演出するのが風流というものである。すると年中ある野菜でも、その旬を知識として知っているということが肝心になってくるのだろうな。しかしキルケニーと日記のせいでお月見するのは忘れた。
あとはここ数ヶ月で本が飛躍的に増えたので、置場を増設。といっても棚が余っていたのでそれ用に使い勝手を考えて少し手を加えたくらいである。
そしてなんとなく気が進まないまま編物を放置していたら、夏が過ぎてしまった。いい加減に目処をつけよう。


記録というか古い記憶を残してあったっけな、と考えてみたら、私の場合はフロッピーディスクであった。普段はすっかり忘れているが、確かにいまでも持っている。
フロッピーといってもパーソナルコンピューターではなくワープロ全盛時代の遺物である。保存形式がどうなっているのかも覚えていないし、ケースもつけずに裸のまま*1持ち歩いているので、既にデータが壊れている可能性も高い。自宅のパソコンに外付け機器を繋いだとしても、中身を読み出すことができるかどうかあやしいものである。
でもそれでいいのかな。覚えている部分もあるし忘れてしまったこともある。捨てられないけどそれは中身を眺め返すためではない。終わったことをこれだけ乗り越えてきたと主張しなければ伝わらないのであれば、自分が越し方を身につけられず体現できていないだけである‥‥
といままでは考えていたが、どうもそれではマズイような気が最近はしている。やっぱり表現しなくては何も伝わらない。むしろ黙っているのは不誠実ですらあるのかもしれない。

*1:勘違い。実物を確認したらケースはあった。