映画:英国王給仕人に乾杯!(監督:イジー・メンツェル )

ヤンは、1963年ごろ、共産主義体制下のプラハで出獄し、ズデーテン地方の山中に向かい、廃屋でビールのジョッキを発見する…。ヤンの人生は給仕人の人生だった。田舎町のホテルのレストランでのビール注ぎの見習いから、高級娼館“チホタ荘”に、そしてプラハ最高の美しさを誇るホテル・パリで給仕の修行をする、古き良き時代。しかし1938年、ヒトラーのズデーテン侵攻でチェコスロヴァキアはドイツに占領され、その時、ヤンは自分よりも小さいズデーテンのドイツ人女性リーザに恋をしてしまう…。

第二次世界大戦前後のチェコスロバキアは百搭の街プラハが主な舞台である。
ヤンは小男であまり押し出しも強くない。長いものには巻かれろ式でツテを頼り、その場しのぎで要領よく世の中を渡っていく、ように見える。しかし幸運を手にしたら周りの目を気にしてその場を離れなくてはならないのは、裏を返せば身体が小さく立場が弱いからなんだよな。のし上がることや分不相応に権力を手に入れるなんてことにはあまり興味を持たず、夢をかなえるための金を貯めるのを生きる目標にするしかない。
幸運に恵まれるたびに職場を変え、ちょっとづつ勤める店のランクを上げながら給仕人として修行を積む毎日を送るうちに、世間はだんだんキナ臭くなってくる。ヒトラーナチス・ドイツの台頭である。そんな中、周り中から冷たい視線を浴びながら、ヤンはドイツ娘と結婚し、更にコネを最大限に活用していく。しかしヤンが彼女と結婚した理由は、小男の彼より更に小さい女性だったからなのだった。
ヤンはときどきポケットから小銭を出してわざとばら撒く。そうするとどんなお金持ちでも地べたに這いつくばって拾い始める、という逸話が繰返し挟まれる。ブルジョワの嫌らしさバカバカしさを狂騒的に戯画化して描くのと同時に、ナチス選民思想に凝り固まった四角四面さも面白おかしく笑いのめす。しかしそれを拒否するでもなく、翻弄されつつその中に入り込みながら自分の持分を淡々とこなしていくのがヤンである。
中欧の小国の微妙な立ち位置や歴史を一人の男になぞらえたような映画だったんだろうな。プラハが文化都市で武力では戦わない選択をしたように、ヤンも賢いのだけど争いを避けて自らの軟弱さに甘んじる。その裏で映画のタイトルでもあるホテル・パリの給仕長、逮捕されるまで毅然とした態度を取り続けた彼こそが、小国の本当のプライドを物語っているのではなかろうか。
ヤンはお金に執着しているようでいて部屋中に並べたお札を雑に足で扱っていたり、要領よく振舞っているようで客を見抜く練習をゲームのように繰返すなど実は地道に努力もしていたりする。女性と関係するたびに美しく女体盛りをして遊んだり、つまみ食いできるときにはすかさず手を出したりする一方で、わざわざ逮捕されるような証拠を自分で当局に差し出したりもする。なんだか判らない振りでもしなきゃやってられないというような、とても人間らしい欲望と哀しみの、しかし腰の強い意思の物語だった。これが文化というものか。
そして観たあとは無性にうまいビールと白ソーセージが欲しくなる。それで私もさっさとベルギービールを出してくれる店に行ったのだった。