映画:シャーロック・ホームズ(監督:ガイ・リッチー)

シャーロック・ホームズである。ホームズといわれたら何はともあれ観ねばなるまい。
配役を見るとホームズがロバート・ダウニーJr、ワトソンがジュード・ロウである。うーん? ロバート・ダウニーjrはともかく、ジュード・ロウはあの怪しい色気といいどっちかというとホームズ役のほうがしっくりくるような‥‥最初は若干不安だったのだが、観てみるとこれがなかなかどうしてしっかりと嵌っていたのだった。ロバート・ダウニーJrも小汚くて奇人変人でけっこう武闘派のホームズに馴染んでいた。意外だったのは鳥打帽を被ってなかったことだが、しかしあれは挿絵のイメージだからな。
グレーに沈んだロンドンの石畳に二頭立ての馬車が気分を盛り上げる。やもめ暮らしで実験器具が散らばる部屋のなかの乱雑さまできっちり再現されていて、シャーロキアンならずとも心が躍る。アイリーンのあとをつけて次々と変装していくところなんかもう、「キタキタキター!」とわくわくである。
よく安楽椅子探偵というけれど、映画の中にもあったように天才・ホームズにとってはちょっと考えりゃ判る単純なことをその場で口に出しているだけであって、実際の事件解決には銃も撃つし靴を泥まみれにしたりモリアーティ教授と滝つぼの上で揉み合ったり、原作でもアクティブに動いているのだよな。あれはもともとガチガチの推理ものではなくて、お楽しみいっぱいの娯楽小説だと思う。だからアクション満載でホームズのイメージを覆されるというのは頷けない。ちゅーか、若干人格が破綻してるとこも含めてこれがホームズだろう。惜しむらくは、『ぼく、天才!』という強烈な超上から目線が弱くなってたことだ。
ただ悪役が謎の秘密結社というのがもう個人的に食傷気味で、19世紀霧のロンドンとくれば致し方ないのかもしれんが、せっかく新しいホームズなんだから別の切り口はなかったんか、と思わないでもなかった。あとよく思い返してみると、観ている間は映像と雰囲気を楽しむのに精一杯で、謎解きの部分やストーリーのキモはさっぱり飲み込めてない。それは私がアホなだけだが、アイリーンはなんでアレ持っていきなり逃げ出したんだっけ? 途中でなにか見落としたようで、最後の展開はどうもチンプンカンプンであった。
ところでこうして知ったような口を叩いているが、実のところ原作を読んだのは四半世紀も前の小学生の頃だもんで、個々のエピソードはまったく覚えていない。女傑アイリーン・アドラーもワトソンが連れてきたメアリー嬢も「そんなひといたっけ?」くらいの認識で、映画を観てからこっそり調べたのだった。おかげで細かい設定の齟齬も気になることなく楽しめた。鳥頭もときには便利なものである‥‥それでいいのかどうかは置いといて。