親子の愛情? けっ。

日本人でアダルトチルドレンじゃない人っているのだろうか。と思ったが、普通にいるんだろう。多分、私を含む私の周りに、機能不全家庭の問題を抱える人の比率が多いだけだ。類は友を呼ぶ。
私が実家を出たのは、両親との関係に耐えられなかったからだ。干渉が強く、厳しい叱咤の多い家庭だった。しかし、そこには世間に認められる異常性などなくて、一般的によくいう「厳しいおうち」の範疇に収まるものだとは思う。
愚痴をひとつひとつ並べてもキリがないが、判りやすい例を挙げると、私がひとり暮らしを始めたばかりの頃、夜寝るときに襲ってくる原因のない不安感に対して、「ここには誰もいない、怒る人も文句を言う人もいない」と毎日呪文を唱えて、眠りについていた。
それから十年たったが、両親に「会いたくない」「喋りたくない」「構われたくない」という気持ちは、未だに厳然としてある。これが反抗期というものなら、現時点で二十年も続いていて、この分で行くと私は一生反抗期のままなんだろう。
それでも育ててくれた恩義、守ってくれた有難さというのはある。一方的に両親を非難して、縁を切ったり行方をくらませたりすれば楽だと思うが、儒教的な思想が私の言動に歯止めをかけている。その思想もインプリンティングのお陰だと、頭では判っているが、勝手に湧上る罪悪感は拭えない。
「子を想わない親はない」とか「親の愛を素直に受け止められないのは、間違っている」など、簡単に言われると今でも無性に腹が立つ。ならお前が引き受けてくれ、と思う。
が、例外もある。
以前、いないほうがマシな親もいる、とポロッとヤンキー娘にこぼしたところ、いきなり怒られたことがある。十歳も年下の少年院上がりの娘だった。
彼女の場合は、それはそれでいいのだ。少々問題はあったが、根も頭も悪い子ではなかった。たまに方向性を間違えることはあったが。悪辣な環境の割には、素直に感動することも知っていたし、健康的なバイタリティに溢れ、接しているとこちらがくらくらするような生命力に溢れた娘だった。
そうした素直な感情の発露として怒られるのはかまわない。
その差は何か。
感情をぶつけられるのは個人対個人の闘争だが、ただ無思考に一般論を押し付けられると、無自覚ゆえの底の深い差別を感じるのだ。
そこにあるのは発言者本人の考えではなく、公衆道徳をバックにつけたかのような「これが正しい」という主張だ。「こうあるべきだ」という姿がまずあり、それに当て嵌まらない人間は、だたの我儘な落伍者になってしまう論法だ。それは言われた人間の人格を根本から否定することに繋がる。
まあ、考えなしのズボラな幸せ者には、ちゃんと機能している家庭はデフォルトではないって事実は、とても想像しにくいのだろうなァ、とは思う。思うがしかし、それは暴力なのだ。
PTSDのために動揺すると、ひどく気力を削がれる。生命力を直接カンナかなにかで削り取られるようなものなのだ。
「知らなかった」で暴力を振るわれても、それは仕方ないと流さなければならない現状。虐げられる弱者のままでいないために、復讐しては‥‥いけないんだろうな、やっぱり。
自分が強くなるしかないのかぁ。(脱力)