映画:カティンの森(監督:アンジェイ・ワイダ)

1939年、ポーランドはドイツ軍とソ連軍に侵攻され、すべてのポーランド軍将校はソ連の捕虜となった。アンジェイ大尉(アルトゥール・ジミエウスキー)は、彼の行方を探していた妻アンナ(マヤ・オスタシャースカ)と娘の目前で、東部へ連行されていく。アンナは夫の両親のもとに戻るが、義父はドイツに逮捕され収容所で病死し、残された家族はアンジェイの帰還を待ち続ける。

wikiによると、

カティンの森事件ポーランド語: Zbrodnia katyńska、ロシア語: Катынский расстрел)とはソ連国内のスモレンスクに近いグニェズドヴォ(Gnezdovo)村近くの森で約4400人のポーランド軍将校捕虜・国境警備隊員・警官・一般官吏・聖職者がソ連の内務人民委員部(秘密警察)によって銃殺された事件。

だそうである。
あのころ、いろいろと黒い闇のような事件があったらしいことは、なんとなく肌で感じていはいる。しかし私はひとつひとつについてあまり詳しく調べたりはしない。
小学生の頃、夏休みに生徒全員を集めて反戦アニメをみせるという行事があった。そのときに見せられたのが『対馬丸―さようなら沖縄』である。戦争行為の犠牲になり虐げられる子ども達、ぼろぼろとそれこそゴミのように、くしの歯が欠けるように次々と死んでいく自分と同年代の子ども達。理不尽に振り回されて亡くなったのは子どもだけではないし、日本人だけでもない。それは判っているが、あれ以来、どうしてもそうした戦争ものが見られなくなってしまった。そうした事実を目の前に突きつけられると、頭の芯が痺れて手のひらにじっとりと厭な汗をかく。反戦意識を植え付けるという意味では、またとない成功を収めた手法だと思う。しかし恐怖のPTSDによってでも、十把一絡げでも戦争はあるよりはないほうが絶対にマシだと信じてもいる。この恐怖がある限り、現代に生きる草の根のひとりとして私は戦争を是とはしない。だから私は自分のこの感覚を治そうとは思わない。実際に戦争が起きるよりは、戦争ものを一生まともに直視できないほうがずっといいだろう。
この映画を見ている間も、ずっと脂汗が出てくるような神経性の腹痛が起こりそうな気分で落ち着かなかった。はっとするような美しいショットがいくつもあった。寒色系の冷たい色合いの中、懸命に生きる人々が映し出されていく。固い決心を抱き、または保身の為に良心を裏切り、それぞれが生き残りをかけて強くあろうとした。身を苛むような緊張感が画面を埋め尽くしていた。
あのとき、何が起きたのか。始まりは夫婦の物語だが、途中で急に登場し退場していく人々によって、それは気がつくと誰も彼もが関係する大きな謎だということが判っていく。夫が、父が、兄が、弟が、叔父が、友人が、教え子が。彼らは何処へ消えたのか。年月が流れ、断片的な状況証拠や人々の体験を丹念に結び付けていくと、最後に彼らは家畜を屠るよりも容赦なく、意味もなく機械的に流れ作業で殺されていったのだという事実が浮かび上がる。
『生き延びよ』
それが司令官の最後の厳命であった。しかし黒々とした巨大なものに押しつぶされていくとき、虚しい命令を守るのがなんと難しいことか。