ギャンブルとリスクと好きなこと

最近の文庫は高い。高すぎる。文庫なのに。
昨日やっとエルリックの四巻を買った。最終巻までのあと二冊も棚にあったのだが、法令集と文庫三冊で五千円越えかよ、と思ったら一冊しか買えなかった。本なのに我慢した。少しは成長したのか、私。問題集も受験料も高いしな〜。今月は工作の材料代もかかってるからな。こうしてみると確かに好きなことするにも計算は必要だ。
男性の給料には女房子どもを喰わせる分がデフォルトで入っているというけど、私の給料にも人ひとりを養う分を誰かこっそり入れてはくれまいか。ひとりが贅沢しないで暮らせるぐらいの金額で、コンスタントにふたり食べるってのも結構サバイバルだ。
いくら男女が逆転してるだけといっても、周りの反応が違う時点でやっぱりいろんな条件は同じじゃないのだ。私がもっと優秀で手に職があって仕事内容も相当頑張った上で、家族を養っているんです!と会社に主張すれば違うのかもしれないが、ただ普通に生活がしたいだけなのにそれじゃハードルが高すぎる。ひとと違うことをするってのは、こういう現実的なリスクはある。
そこまで判った上で選んだつもりでも、実際やってみると単純じゃない。いちいち余計なエネルギーを持っていかれる。細かいことを言えばキリがない。
それに参考になるモデルがないと、生活していく上で気持ちをどこら辺に置いとくといいのか判らなくなることがあって、それで頭がぐるぐるすることがよくある。


ま、夢は見続ければ道が拓けるってね。そのうち瀟洒な一軒家で犬が飼えるかもしれないじゃないか。


「好きなこと」関連。

本人は「好きなことをしたい」でも構わないだろう。だが周りは、特に近い関係にあるのならば「すべきことをしろ」というべきなのではないか。そうやって常に自分の「したいこと」の吟味をするよう促さなければならないのではないか。

http://d.hatena.ne.jp/b_say_so/20070403/1175568948

実は我が家も、「好きなことを探せ」と言われたものでした。親は子供の好きなことを見つける為に異常な努力を払っていた。
(中略)
妹は兄や私と違って「好き」をなかなか見つけられなかった。「兄や姉には好きな特技があるのに、何故自分にはないんだろう?」それで悩み続けた。受験の時はノイローゼになりそうだった。見ていて痛々しかった。

http://d.hatena.ne.jp/antonian/20070404

私事で恐縮だが、私の両親は子どもの好きなことに対して「それで喰えるわけない、自分の子なんだからそんな才能があるわけがない」だからマンガ本禁止、ゲームも禁止、絵画教室は通わせてもらえず、「すべきこと(学業)をしろ。好きなことはその後で節度を守って余暇に楽しむ分には構わない」とはっきり言う人たちだった。ちなみに私はそういう家庭で育って、記憶障害で勉強も出来ないほどの鬱になった。
成人してから病気を治して仕切りなおして、孤軍奮闘悪戦苦闘する羽目になったのだが、そういう私を見て姉は「好き勝手やれるメンタリティが羨ましい」と言っていた。
非常に複雑な気分になった。
兄弟姉妹だって性格や適性は違うのだし、何事も一辺倒にこうすればよいという答えはない。子どもを育てる親は児童教育の専門家ではないし、児童心理学を収めたことがない人が大半だろう。スペシャリストじゃない人が手探りで親になるわけで、あちらを立てればこちらが立たず、何をしても結果論で責められてそれは本当に大変だと思う。逆に言えば親があるやり方で子育てをして、それが持って生まれた向き不向きにうまいこと合致するかどうかは、その子の運次第ってことで人生丸ごとギャンブルみたいなもんなんかな、と最近は思う。
その伝でいったら、私は運がなかったということになるが、それで死ぬわけじゃなし*1当たり外れはつきものだよな。

追記:全然関係ないのだが

今回のリンク先、あんとに庵さんのところにアップされていた子犬が、脳みそが沸騰しそうなほどめんこい。私はいわゆる愛玩犬よりこういう犬らしい犬がツボである。モニターの前で口をあけて見入ってしまった。犬欲しいよー!

*1:死んじゃうほど酷い育て方は、この際問題外ということで。