よく考えると、モラルってなんだろうなぁ。

たとえばやむにやまれぬ理由があって罪もない人を殺したという話があった場合、現実にそんなことがあったら「許せない」と思うのだろうが小説の中だとそこが感動のポイントになったりして、「この中に限って」許してしまうことがあるのだ。
[本の話]読書時と通常の生活とでは、わたしは無意識にモラルを使い分けている - Mint Julep 

ノンフィクションとフィクションの差もあるだろうが、読書の楽しみは実生活ではまずあり得ない刺激を受けることに尽きると思う。
小説の登場人物が読み手である「私」と同じ考え、同じモラルを持って行動したら、そこに書かれるのは「私」の人生にありそうな物事しかないんじゃないか。ええと、現実にありそうな面白い話というのもありだが、それはそれで自分とはちょっと違った視点で書かれているから面白いのだろう。突飛な展開やあり得ない状況、いつもの世界とは違った感じを味わうには、自分のモラルはとりあえず横に置いておいて、読んでる間だけでも作中のモラルを受け入れておくしかないというのが一点。
あと、モラルというのはある種の縛りだろう。それの形を変えたり緩めたりするのは、ガス抜きになるし、価値観を少し揺るがされることと同義だと思うので、この壁を乗り越える感覚が面白いという面もあるんじゃないか。現実でそれを体現してしまうと、ちょっとややこしいことにもなりかねないが、本の中だけなら問題はない。
ものによってかなり差があるけど、ゴミのように人が死ぬどたばたモノやナンセンスなんかでは、モラルを問題にするほうがアホらしくなることもあるし、復讐譚ではやっぱり憎いアイツが苦しむ様を見たいと思う。
でもそれが私の現実だったら、復讐して溜飲を下げるより、相手と同じ土俵に立つことを躊躇すると思う。これは逃げでもあるし、他人にわざと恥をかかせ傷つけるのは、どんな理由であれ自分自身に許してはならないという、モラルを持ってるからでもある。そして他人が復讐に走るのも、やっぱり美しくないと感じるだろう。そういう縛りを持っているからこそ、鬱憤は心の底に溜まるのだし、問題のない範囲で放出したくもなる。
例えば殺人についてなら、それを巡る拠所ない状況などが理解されれば、許す許さないは別としても、成程と思うことはある。そして本の中というのは拠所ないものだと、最初から了解/期待している節がある。そして一番のポイントは、これで実際に人が死ぬわけじゃないしね、ということだろう。


はてしない物語ではないけど、本は閉じれば終わるし、開けばまた好きなところから始めることができる。現実とは世界の成り立ちが違うのだから、求められるモラルもまた違って当然なのかもしれない。