どうなのだろう

後悔はないかといっても無理な話で、果たして私は相手に求めるほど逆に相手に与えることが出来ていたのだろうかと考えると気が狂いそうになる。
弱い私はそばにいる人に落ち込んでいられると落ち着かないし、世の中を呪う文言を聞かされると共感するより正直うんざりしてしまうような人間だ。
風邪ひいたって直すのは結局本人の抵抗力であって他人はせいぜい消化しやすい食物を与えるくらいしか出来ないし、黙って寝てるしかないじゃないかと加湿器をたき水分を与えた後は半ば放置してしまう。そのとき心から優しい気持ちになっていただろうか。心配していただろうか。
相手が苦しいとき、私は何をしていただろう。自分の恨みは良く覚えているけど、逆の立場になると記憶にすら残っていない薄情さである。
私は誰かと共にいることで、相手を喰い潰しているんじゃないか。とどのつまりエゴばかりの醜い人間なんじゃないか。相手を気分良くさせることなんか出来ない未熟な欠陥品なんじゃないか。私と関わる人は、いつの間にかみんな不幸の輪に絡めとられていくんじゃないだろうか。
誰かに否定して欲しくて堪らないけれど、実際に証明できない限りは納得できないのだろうと思う。
未だに死なずに生きる理由があるとすれば、私はそれを証明するために生きている。答えがどちらであれ。