白鯨のはなし

空中キャンプさんの『白鯨』のおもいでには実に同感である。私は二十四、五くらいのときに読んだが、正直辛かった。『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』の次くらいに辛かった*1。古い訳の文庫版は上下二分冊になっていて、上巻の途中からとにかく『基本教養らしいから』『今後の為に』『読破する』という浅ましい目標と自制のみで読み進めた。たぶん、毎日少しずつ読んで、二、三ヶ月かかったんじゃなかろうか。
当時は長風呂がマイブームだったので風呂場にタオルと文庫本を持ち込んで読んでいた。いまでも『白鯨』と聞くと、あのときの安アパートについていた小さなハンドルをカッチカッチと回して火を点けるバランス釜の風呂を思い出す。読書するには若干薄暗い照明の光は黄色がかっていて、足元は升目の小さな方眼のタイル、腰壁はコンクリートにマットな水色のペンキがベッタリ塗ってあった。安全装置なんて洒落たものは付いていなかったので、うっかり沸かしていることを失念したりすると、ボコボコいうほど煮立つような風呂であった。もっともガスメーターに漏洩防止装置が付いているから、二時間以上点けっ放しだと元から止まることにはなる。実際、煮込み料理をしていて急にガスが止まって焦ったこともあった。
初めてひとり暮らしをしたアパートだった。築二十余年、木造二階建てで、冬場には台所で盥にはった水が凍っていた。とにかく間取りと収納と窓は広くて、室内温度は外気温と大差ない。春と秋にはうららかでよい部屋だった。
その隣にはもっと古いアパートが建っていて、あるときその隣のアパートの一室で事件が起きたのだった。仕事から帰ったら鋭く光る赤色灯と黒い文字の書かれた黄色いテープと青い警官の制服でそいこらじゅういっぱいになっていた。その情景におののきつつ自分の部屋に向かったのだけど、そのときには既にあらかた顛末の調べはついていたようで、誰何もされずに自室のドアを開けることができた。そして慌ててテレビをつけて、すぐ近くで起きたことを遠くから飛んでくる電波に教えてもらったのだった。
ふたつの場末感漂うアパートの前は砂利敷きの空き地になっていて、共有の駐車場として利用されていた。事件を起こした男女も何度かそこで見かけたことがあった。よくある痴情の縺れ。だけど世間によくあることでも、個々にとっては一世一代の一大事だ。たまに遠くから姿を目にするくらいで彼らとは言葉を交わすどころか挨拶もしたことはなかったのだけど、生きて動いているのを紛れもなく自分自身で目視確認できていた実在の人物たちが、よくあるニュースになってしまうのが不思議だった。人ってそういうものなんだな、と漠然と思った。
そんな思い出のある安アパートの風呂に浸かりながら、身体の表面はお湯に温められて汗をダラダラかきつつ、頭の中はあちこち脱線してなかなかあらすじが進まない酔っ払いのたわごとのような本の内容に煮えくり返っていたものだ。まるで苦行である。思い出しただけで痩せそうだ。

*1:こっちは八ヶ月かかった。感想→http://d.hatena.ne.jp/paseyo/20080420/1208698188