映画:わが教え子、ヒトラー(監督・脚本 : ダニー・レヴィ)

私が見たのは、狂気の独裁者ではない、ひとりの孤独な人間だった

この映画ポスターのコピーがすべてを物語っているような映画であった。
神経衰弱に陥ったアドルフ・ヒトラーを再び奮起させるため、ユダヤ人の元俳優を強制収容所から引き抜いて演説の講師とする、という設定自体「ありえねー」ではある。そしてコントそのままの「ハイル・ヒトラー」の応酬、隠し部屋から密かに総統の執務室を監視する側近たち、必要以上に書類に厳格な下士官、もったいぶってはいるものの非常に直載な『陰謀』、ゼクセンブルクを開放しろという主人公の要求に思わず「アウシュビッツよりはマシか」と呟くゲッペルスなど、ひたすら真剣すぎてそれが逆に滑稽になるという具合にちょっとずつ笑いにおとしてあるブラック・コメディである。特に寝室の壁に飾られたナチスの鷲の紋章は、まるでいつかカラオケボックスで見た『ショッカーの部屋』のコレである。

もちろんこっちがパロディなんだが、そういうセンスなのだ。音楽も非常に勇壮で悲愴で良い。そういうセンスで、である。サントラ買っちゃおうかしら。
不眠に悩む独裁者がジャーマンシェパードの愛犬ブロンディだけを連れて夜中の散歩に出ると、そこは四角四面の巨大な建物にぐるりと囲まれた、土も樹も逃げ場もない冷たい石畳の中庭である。なんだか昔、夜中に親の目を盗んで家を抜け出したのを思い出した。東北なので夏でも底冷えのする夜の空気、暗く沈んだ住宅街はアスファルトに覆われて街灯が等間隔に光っている。車も通らない道路の真ん中に立ってひとり星を見上げると、現実からはじき出されたような気分がしたものだ。湿ったぬくもりはすべて壁の向こう、外は寒くて乾いている。どうして自分はここにいるのだろう。ヒトラーが向かった先はやはりというか貧しいながらも暖かい他人の家庭で、そこで子どものようにだたを捏ねる独裁者はただのアダルトチルドレンである。
脆弱な神経の小男が人心を煽る才能と側近に恵まれ、あれよあれよと時代の波に乗り何故か分不相応の立身出世を遂げてしまった末路というのかなんというのか、そうした人間臭さが前面に出ているのは、戦後もだいぶ経ったということだろうか。
大量虐殺者のヒトラー、冷酷非道な所業で知られるナチスSS、人間業にしてはいきすぎた歴史的事実の数々。あまりにあまりなことには、笑うしかないのかもしれないな。同時代にこれを揶揄したチャップリンの独裁者が撮られたのは、一体どういうことだったのだろう。