読了:すべてのまぼろしはキンタナ・ローの海に消えた(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア)

青年はある晩、黒髪の美女が縛りつけられ、漂流しているボートを目にした。女を救出し、浜へと泳ぎ戻った青年は愕然とする。その人物は男だったのだ!盗品とおぼしき大きなルビーを腹部に隠していた男は、よく見るとやはり美しい女にも見える。その男はいったい…。「リリオスの浜に流れついたもの」をはじめ、メキシコのキンタナ・ローを舞台にした美しくも奇妙な物語3篇を収録する連作集。世界幻想文学大賞受賞。

収められているのは次の三篇。

  1. リリオスの浜に流れついたもの
  2. 水上スキーで永遠をめざした若者
  3. デッド・リーフの彼方

メキシコはユカタン半島東海岸に位置するキンタナ・ローの海岸とマヤ族を題材にした連作短編集。そのどれもが現地のマヤ族たちから多少の蔑視をもって<グリンコ(白人)>と呼ばれる老齢に差し掛かった白人男性の目をもって語られる。するするっと引っ掛かりもなく読めてしまったので、非常に感想が書きにくい。当時、商業的リゾート地となっていたユカタン半島のビーチのありかたがどうだとか、風刺の側面もある作品のようだが、そこらへんは詳しくない私にはピンとこない。
あまり説明はなされないが、<グリンコ>である私は一年の半分くらいずつアメリカとメキシコを行き来して過ごしているらしい。にもかかわらずスペイン語はあまり上手く話せない。現地での彼は「言葉はつたないが金を持ったおとなしいアメリカ人」という扱いで、排斥されることはないが地域に溶け込むほど打ち解けることもない。自らの生活を眺める彼の視線もどこか浮わついていて他人事のような、周辺部から異文化に触れている自分というものになっている。そんな突き放した調子で淡々とした語られる、不思議な話‥‥。
どこにも帰属意識を持てない寂寥感がうみだす、強烈な憧憬なのだろうなぁ。物を受取ると連れて行かれてしまうというのは裏返せば権利と義務が発生するコミュニティへ迎え入れられることであり、何某かの儀式を経ることで時空を越えて英雄として迎えられるのは帰る場所があることへの羨ましさ、魚やゴミが渾然一体となって人を惑わせるのは、翻って自分に向けられる得体の知れない集団的悪意のようだ。
まるでマヤ族というDNAに何か目印でも刻印されているかのように、彼らには遠い過去の輝かしい栄華を誇ったマヤ文明へ繋がる絆があり、漂泊する外部の人間である自分とのあいだにはあたかも見えない壁でもあるかのような疎外感を持つ。こうした怪談の類では普通は「連れて行かれなくて良かった」という文脈で語られることが多いと思うのだが、この本ではどうも「そちら側に行くこと」について畏怖とともに憧れがあるように読めて仕方ない。
だけど先進国であるアメリカ出身の白人男性が、本気でマヤ族になりたがっているわけではないだろう。自分から距離を置いておいて、夢想するだけの単なる好奇心でしかなさそうだ。アメリカを始めとする先進諸国が進出したことでゴミが流れ着くようになった砂浜のことを、欲しいものは何でも波が運んでくれるなどと、アメリカ人でありながら他人事のように嘯くように、どこか無責任というか浮世離れしたスタンスである。帰属するということは極論すれば連帯責任を負うということでもある。それを拒み、無責任さに遊ぶ男というのは穿ちすぎか。そして何処にも行けないことに安心している男。
現実に馴染めないという感覚は、多かれ少なかれ大部分の人が感じたことがあるのだろうと思う。世界にコミットするにはアウトプットを調整しなければならず、得手不得手はあるにしてもそれは生得の本能ではない。周りは難なくこなしているように見えて、実は誰もが水面下で幻想を学習しているものだ。馴染めないだのここではない何処かだの、世迷言を言ってて赦されるのはハタチまでである。しかしいっときの夢を見せてくれるのが小説というものだ。<グリンコ>は自分、たまにこちら側からあちら側を覗くだけの存在だ。