幻肢痒

このところ、肩口から切断された腕の、中指と薬指の間の指の股が痒い、というような感じが続いている。
もうないはずの手が痒い。脳が仮想の腕を作り出していて在りもしない腕の痒みを感じ取っているように、見れば現実には確かにない、だけど脳はその腕を認識している。もちろんこれは比喩だけども、そう想像しはじめたら妙にしっくりくるような気がして、その考えを反芻し舌の上で転がしてみた。
ないのは判っていても、痒い。痒いのに掻けない。見てもそこにはなにもない。でも痒いと感じる。どうしたら掻けるだろう。痒いところに触れるのだろう。そうだ、脳が幻を描き出しているのだとすれば、もっと朦朧とした状態なら触覚や他の感覚も幻を感じることが出来るんじゃないだろうか。眠りにつく直前の夢うつつのときなら、現実より幻が強くなるんじゃないだろうか。夢でないはずの腕を曲げ、あるほうの指先でその腕の感触を感じることができないだろうか。脳はそこまで強力な幻想を作り出せないだろうか。痒いところが掻ければ気が済むのに。
その腕の先の手になにかを掴んだはずなのに、一刀両断に切り落とされた腕と一緒に失われてしまったのだとしたら。腐ることも干からびることもなく、冷たい水の底に白々と沈んでいる一本の腕が目に浮かぶ。その手に握りこんだなにか。乱れた水面を映した弱い光が踊る。
腕は切り落とされなければならなかったのだろうか。余計な害にしかならないものなら捨てなければならない。だけど、存在したということは必要があって生えてきたものじゃなかったのかしらん。季節が変われば自然に落ちる木の葉のように、用が済めば神経が細り血管が途絶えてするりと無理なく根元からもげるはずだったようにも思える。根元からいきなり、憎むべき奇形のように切り落とされ、撤退する準備もできなかった神経の恨みが宙に幻肢を描き出しているのでは。
壊疽は切り落とさなければ生命に関わる、それはそうだけど。
確かにあったわたしの腕。ないものはない。