少し位相のずれた日常へ

実家と連絡が取れた。ひとと建物はなんとか無事で、ライフラインが全滅した中、ご近所さんと声かけ合って避難せずに自宅で過ごしていたらしい。連絡が来たのは地震から2日後の13日午後、ようやく電気が復旧したことで固定電話が使えるようになったからとのこと。給水車が近くの小学校まで来ているけど、行列で3〜4時間待ちなんだとか。これだけの規模の災害になると、被災地に素人ボランティアが乗り込むのは却って食扶持が増えるだけ迷惑だというので、状況が落ち着くのを待ち心が折れそうな時期を見計らって様子を見に行くことにしよう。
周りも徐々に音信が戻ってきたというニュースが増えてきて、なんとなくひと安心なムード。まだ所在不明の友人もいて、中には一刻も早く連絡が取れて欲しい状況のひともいる。また、震度7地域に親戚がいるけど、何がどうなっているか未だ断片も伝わってこない。もうここまでくるとどんと構えて待つしかない。電気が通らなければ電話もヘチマもない。なにはともあれ、真っ只中のひとたちのためにできるだけ早くライフラインが復旧されることを祈る。
ニュースになるのは本当に言葉を失う映像ばかりで、地震の次の日にはNHKのust放送を1日中見続けて吐きそうになってしまった。情報はなければないで不安になるけど、ずっと釘付けになっているのも良くないね。地元仙台では一時期引越し屋のバイトをしていたお陰で県内や近県のあちこちを何度も往復したことがあり、深い爪痕の残る土地は地名を聞くだけで被災する前の風景が脳裏に蘇る。あそこがここが、あのひとはこのひとはと思うだけで神経がガリガリと削られる。心配することは悪いことではないとはいえ、それですべての機能が停止してしまうのでは本末転倒である。
幸いにして私は怪我もなく住むところにも困らず元気だ。遠く離れた土地で、嘆くだけで空回りして倒れても意味がない。私にできるのは粛々と日常に復帰し、金を稼ぎ使い募金し、被災地を含め経済を回すこと。そうだ、ふるさと納税をしよう。そして前から予約していた美容院はキャンセルしようかとも思ったのだが、電話してみたら営業しているというので、日曜日には外に出て気分転換してきた。天気が良くて春の風があたたかくて、行って美容師さんとわあわあ喋ってきたら、だいぶ救われた気分になった。知らないうちに緊張しすぎてキンキンに張り詰めていたのだな。私は隅っこに隠れてブルブル震えているばかりだったのに、こんなときに普段通りに営業しているサービス業の方々にも頭が下がる。
明けて今日は会社も平常営業である。平常とはいえ電車が不通になっている地域に住む人間もいるので出勤率は7割くらいだが、まあ働いている。継続的ヤシマ作戦計画停電や交通網の麻痺など、非日常の部分は残っているものの、指でなぞるように確かめながら日常へ復帰しよう。