日記納め

今日で仕事納めである。ついでに日記も納めることにする。
切羽詰った年の瀬に重い話で恐縮しつつ今年は仕方ないので云うが、近年稀に見る大変な年であった。
3月、横浜にいていてさえ大きく感じたあの揺れの、震源宮城県だと知ったときの血の気の引く思いは如何とも表現しがたい。仙台の実家と連絡がとれるまでの2日間、それから津波被害に遭った友人の生存が確認されるまでの1週間、次は電気が通るまで、水道が開通するまで、宅配便が届くようになるまで、遠くからじりじりするだけの1ヶ月間は長かった。もちろん福島の事故も大きな関心事ではあったけども、それはどちらかというと職業絡みでもある技術的関心のほうが強くて、情緒的には沿岸地域の痛ましい姿に持っていかれた。実際にその地域を知っているせいもあるんだろう。
あの震災からは復興といっても元のように復すとは到底思えず、ただもう震災前と震災後の断絶があるだけという気がする。
いままでボランティアや寄付など社会的な奉仕を喧伝するなどスマートじゃないしガラじゃないと思っていたけども、惨状を目の当たりにしてみればそんな安い矜持などあっというまに霧散してしまった。現場の茫漠たる質量の前には云うべき言葉も為す術も失う。
そしてほんの少しでも拡散に協力できるならということで、私自身が月に1度は支援先を見つけて寄付をし、この日記でもそうした情報を載せる、それをとにかく1年間は続けることを心に決めた。もっとも、私自身が調子を崩して2ヶ月ほど実行出来なかった時期があったのだけど。私の座右の銘は『ゼロよりはマシ』である。飽きっぽくてずっと同じことはできなくとも、たった1回でもほんのちょっとでもやりさえすれば、何もしないよりはなにがしかの足しにはなるだろう。そんな支援でもいいじゃない。
この1年の3分の1くらいは余震に脅え現実感を喪失し熱に浮かされたようなふわふわした心地で過したし、映画を観ても本を読んでもどこか上の空だったかもしれない。震災前の1月2月のことはあまりに遠く、殆ど頭に残っていない。最近やっと人心地ついてきたけども、遠隔地にいてこうなのだから現地に住む方々にとっては如何ばかりか、心が痛む。


もちろん悪いことばかりではなくて、安否を案じていた友人達は幸いにもみな無事だったし、こちらはこちらで生活を楽しみもしたし少しは工作もできたし酒も飲んだし美味しいものも食べた。そばにいて支えてくれた熊にも感謝のひとことである。
ここをご覧の皆様にも、今年も遊んでくれてありがとうございました。
よいお年を! また来年。