言葉にするとカルトっぽくて厭なんだけど

大概、他人のことを評論する人は、他人を表現しているつもりで実は自分自身のことを語っている。と私は思っている。
というと、当て嵌まらない具体例も出てくるのでややこしい。
ややこしいが強引に話を進めると、「あの人は〜〜だから〜〜だ」とか「そんなことをするなんてあの人は〜〜だ」という型の、推測をはらんだ言葉は、大抵自分自身。だって人は自分しかネタ元がないんだから。
そこに隠れているのは、あの人は<きっと××のつもりで><××と思ったから>「そんなこと」したんだろう、だから〜だ、ということだ。<××>の部分は想像でしかない。他人の本当のところなんて判んないけど、自分倉庫から似たような事例を引っ張り出して、傾向を分析し推測してる。
つまり話の中身は自分しかないってこと。本人にその気があってもなくても、それしかあり得ない。


つまり、他人を汚く貶める人は、その人自身が汚い抽斗を持っているということ。
クソつまんねぇ修身のようだけど、突き詰めるとそういうことになる。と思う。
ま、私の抽斗もたいがい汚いけどね。