文句言うなら、まず自分でやってみましょうね。

出生率低下にしても朝ごはんに米を喰えというのも、なんだか学級会の議題のようで、脱力してしまう。こういうことを言い出すお坊ちゃんたちは、手間がかかって大変なことは全部お母さんがやってくれると、もしかしたら本気で思っているのかもしれない。
結婚も出産もしていない私をして、なにをかいわんやなのだが、周りを見ていて感じるのは、出産も子育ても、ぶっちゃけキツイ汚い危険金掛かるの4Kだということだ。建前はどうあれ、今の社会ではスーツ着て机に座るよりも、肉体労働のほうが低級だとみなされており、ご多分に漏れず出産育児もかなり社会的重要度は低い作業だと思われている。(神聖視する向きはあるが、現実的にお母さんという人種は社会的弱者である)しかも賃金労働なら金は入るが、子育ては金が掛かりこそすれ、入ってくることはない。それどころか育児中の親はフルタイム就労が難しいのが現状で、その機会損失を含めると普通の生活を維持することすら危ういほどだ。そんなこんなをひっくるめた事情も絡み、今の日本ではその時間も手間も金も掛かる作業に従事したが最後、自らの社会的地位もほぼ自動的に下落してしまうのが実態だ。社会的地位がナンボのもんじゃい!というのはまた、別の話ということで脇へ置いておく。
そんなのはごめんだし、泥やうんちで自らの手は汚したくないけど、出生率が低いと将来が不安だなぁ、誰かやってよ、というのが本音だろうか。私が世のお母さん方を軽蔑しているから、暴言を吐いているわけではない。逆である。押し付けられる側として身につまされるし、明日はわが身というかありうべき姿だし、妊婦には席を譲るしベビーカーにはドアを押さえてあげるぐらいはする。
しかしどんなにイメージアップだの情報操作されても、気分や洒落や酔狂で簡単に出生率アップに貢献できるかというと、それは無理、勘弁してください。つか、自分と同居人が食べるだけで精一杯で、妊娠する余裕などない。そんな低所得者層であるわが身と引き比べても仕方がないので、一般論に落とし込もう。
面白い記事があったので、ご紹介しよう。

女性の就業率が高い≒女性の社会的地位が高い

→「女が家庭を守るべき」という価値観が弱い≒女性にも子供にも多様性を認める

→「あんたもちょっと手伝いなさいよ」と亭主に言いやすい、または亭主が最初からそれが当然だと思っている≒母親の負担低下

→職場や社会のしくみもそれらの前提をもとに作られている(亭主が子供の病気のときに会社を休むのは当然、ちょっと変わった子供でも平気でやっていける、とか・・)

   ↓

育児に対する閾値の低下
アメリカ人の育て方3.1 - 女神復活 - Tech Mom from Silicon Valley


普通に、ごく当たり前に、母親だけでなく両親が自分の子供を面倒見るようになるだけで、問題はだいぶ解決するんじゃなかろうか。
男性が育児休暇をとったり子育てに参加する様子が、新聞などの特集記事になったりしている。どんな職場でもリスクなしに男性が実際に育児休暇を取れるかというとそうではないし、特集記事になること自体がまだそのような存在が珍奇であることの何よりの証左だが、流れ的には歓迎すべきこと、というか自然なように思う。
それを厭がる声が結構上がるのは遺憾だが、過渡期には混乱はつきものだし、子供は欲しいけど引き換えの責任と手間は欲しくないなんて、おいしいとこどりは出来ないのが世の常だ。それにそのうち馴れる。
誰もが自分の子供のうんちの世話をするようになれば、他人がその子供のうんちの世話をするのにも寛容にならざるを得ない。育児休暇も子供の送り迎えの大変さも子供がギャーギャー騒ぐのも、当たり前の常識になる。


とはいうものの、個人の犠牲の上に成り立つ日本社会には、これはそぐわない思考なのかも知れない。そうだとしたら、出生率低下によって衰退していくのも、またその文化のカタチなんだろう。