映画:TAR/ター(監督:トッド・フィールド)


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こういう「これぞ映画」という映画を久しぶりに観た気がする。予告編がいやにおどろおどろしくて身構えたのだが、別にサイコスリラーではなかった。

世界に冠するベルリン交響楽団のマエストロであるリディア・ターの絶頂からの破滅と再生の物語である。音楽界のスーパーエリートであるリディアと絶対的な才能とコネが蠢く業界での政治の絡み合い。何より私が素晴らしいと感じ入ったのは強い女性を普遍的な存在として描いているところだった。

まずリディアは華々しい経歴と才能を併せ持った天才だが、聖人君子ではない。といっても物語でよく描かれるギフテッド型天才の社会不適合者ではなく、権力者として冷徹な面もあるし強引なところもあるが充分に人間味に溢れており基本的に礼儀正しい人物である。家庭人としては序盤でレズビアンを公言しており、コンサートマスターとパートナー関係を築き養子の女の子を慈しみ育てている。リディアは女性の社会運動には興味がないし、言動服装から導き出されるプロファイルはいわゆる名誉男性に近いのではないかと思う。定義はよく知らんけど。

映画の構想の初めからケイト・ブランシェットを念頭に置いて作られたというだけあって、彼女の中性的な存在感が際立っている。映画の中のリディアを男性に置き換えてもまったく違和感がないほどだ。つまりこれは男も女もなく普遍的な「才能と権力を持った人間」とその転落を描いているのだ。なんていうか、よくあることだよね。

冒頭の会話劇の部分で指揮者は時間を支配するというくだりが出てくる。のちにリディアは才能溢れる若いチェリストに食指を動かすが、相手はその気がまったくない。これが勘違いしたおっさんが若い娘にコナをかけるのとそっくりで哀しくなってくる。いつまでも才能に溢れた新進気鋭だった頃の自分のつもりでいても、権力者の座に収まる頃には若い世代が台頭してきて彼らから見たら上の世代は尊敬はしても恋愛となるとまったくの対象外だし彼らは彼らのコミュニティと世界観を新たに作っているっていうね。時間の残酷さ。そして彼らのコミュニティは年寄りからみると理解不能で不気味な恐ろしいものだったりするというのが、忘れ物を届けに若いチェリストを追いかけて侵入してしまった地下室なのだろう。「家の中」は住んでいる人物の内面描写というのは定石だろうが、他にもいくつか出てくるがどれも興味深く面白かったな。

音楽という生来の才能がモノをいう世界にあって、しのぎを削り合う苦しさが前面に出てくる中盤は観ていて辛い。音楽とは本来豊かなものではないのか。人間的に不出来な部分はあってもリディアは音楽に対してはどこまでも誠実だ。途中で人間社会の政治に惑わされ自身の愚かさにも足を取られて迷子になるが、最後には迷いを吹っ切り初心に立ち返って新たな一歩を踏み出したのだなと私は解釈した。なんだよ、とてもいい話じゃないか。

 

私が思うに現状では男性社会に切り込んでいく女性の先鋒というのは、必然的に男性が5人くらい束になっても敵わないほど優秀でかつ闘争心のあるキツいタイプになるんだよな。そして渦中にいる人間は自分が男だとか女だとかいちいち考えていない。周りが勝手に意味付けして給料を減らしたり持ち上げたりするだけである。精魂尽き果てるほど真摯に仕事に取り組んでいる人に、更に女性の社会的地位向上とかなんか運動しろとか聖人君子的人格者じゃなきゃダメだとか、ひとりの人間にどこまで甘え求めるのかと。実存として「前例」になるだけで充分じゃないか。そんな余力はないしそこに頑張って立っててくれてるうちに勝手に利用しろ、それくらいの手間は自分で賄えと私は思う。