自分とはあまり関係のない問題に口を出すことについて

しばらく黙考していたんだが、ある問題について事情をよく知らない人間が思い込みで他人を断罪するのは確かに見苦しい。当事者にしか判らない苦しみもあろう。だが、例えば途上国の飢餓問題やジェンダーや各種差別問題などの世の中の気運を変えようとする運動については、直接関係がないから無視するというのは、逆にいただけない。問題意識というのは少しは持っていないとマズイという側面もあるわけで、つまり全然ないよりはあったほうがマシ、とはいえないだろうか。私自身を含め、いきすぎる部分については頭の痛いことではあるが、必要悪というものではなかろうか。
苦しみは分かち合わなくても良い。他人の言葉は三割しか通じないという話もあるし、どちらにせよ、苦しみに限らずどんな感情でも共有することは難しい。そこはもう、同情でもいい。現在必要とされる手を差し伸べられるのであれば、仔細を構う理由があるだろうか。
ただ、やっぱりお呼びでない話題に乗っかるのは、基本的に破廉恥な行為であるし、いつでも好意的に捉えてもらえるわけではない。そうした場合、発言者は鵜の目鷹の目でお人柄を量られるという覚悟は必要かもしれない。