読了:キャッチ=22(ジョーゼフ・ヘラー)

キャッチ=22 上 (ハヤカワ文庫 NV 133)

キャッチ=22 上 (ハヤカワ文庫 NV 133)

キャッチ=22 下 (ハヤカワ文庫 NV 134)

キャッチ=22 下 (ハヤカワ文庫 NV 134)

気が狂っている者は飛行勤務を免除することが出来る。本人が免除願いを出しさえすればいい。ところが現実的にしてかつ目前の危険を知った上で自己の安全をはかるのは合理的な精神の働きである、と規定していた。願い出たとたんに、彼は狂人ではなくなるから、またまた出撃に参加しなければならない。参加したがらないようなら正気だろうが、もし正気だとすればどうしても出撃に参加しなくてはならない。もし出撃に参加したらそれは気が狂っている証拠だから、出撃に参加する必要はない。

これは凄い。
前線後方の野戦病院から始まる。読み始め、支離滅裂といってもいいほどとりとめのない話がだらだらと続く。酔っ払いのたわごとのような文章を読んでいると頭がくらくらしてくる。そのうちに主人公が友人に『気違い』と呼ばれていることが判明し、すわこれが『信用できない語り手』というやつかと読み進めていくと、なんか違う。出てくる人物はみなどこかおかしい。そのおかしさは常人の個性の範囲内に収まっているようにも見える。世の中にはいろんな人がいる。その中に混じれば主人公ヨッサリアンもごく普通の範疇に入ってしまう。むしろ、よほどまともに見えてくる。ごちゃごちゃと出てくる登場人物や錯綜した話で始めのうちこそ読みにくかったが、上巻の後半に入ったあたりで首根っこを掴んで引きずり込まれるようにのめりこんだ。
話が進むごとにまともに見えた人々の個性がエスカレートし狂気の様相を呈していく。引っ込み思案で被害妄想のケのあるメイジャー少佐は人と顔を合わせるのが厭なあまり、用があるときは窓から出入りをし塹壕の中を全力疾走して誰とも会わないように気をつけるようになる。自分の部屋の入口にいる取次ぎの衛兵に自分がいる間は誰も通すな、自分が出て行ってから通すようにと厳命したため、誰も彼には会えなくなってしまう。目端の利くマイローは戦闘に出たくないので食料調達係として兵站部の手伝いをするうちに、資本主義にとりつかれ利ざやを稼ぐようになる。どんどん事業を拡大し、軍全体を巻き込み戦争そのものをも商売に変え、米軍の一中尉なのに自軍の将軍はおろか敵軍まで雇用するようになる。金の原理に忠実に従うため、しまいに自軍の陣地を砲撃しはじめる。それも、攻撃する側もされる側も彼が雇った兵士である。善良で小心者の従軍牧師はいつもビクビクしていて誰からも嫌われないよう気を遣っているが、それがために逆にナメられ、つけこまれ、嫌われる。あまりに善人面を疎まれて濡れ衣を着せられ、密室で無茶苦茶な自白を強要する取調べをうけてしまう。
一方、『りんごほっぺになりたいから』といって野生リンゴを両方の頬に詰めて歩いている小男のオアは、出撃するたびに墜ちて不時着していたが、あるときとうとう救助されそこなって帰ってこなかった。ヨッサリアンはずっと気にかけ彼が帰ってくるのを待ち続けたが、しかししばらく経ったある日、風のたよりでオアが中立地帯のフィンランドに逃れていたことが知れる。誰だって出撃は厭だ。敵軍とはいえ人間を殺すのだし、自分だって死ぬかもしれない。最初からおかしい人に見えたオアは、実は淡々と用意周到に何度も不時着する練習を重ね逃げ出す算段をしていたのだった。
何度も何度も手を変え品を変え繰返し恐怖に追い捲られ、狂騒の度が深まり、狂乱が高まっていく。戦争なんてやってたらまともな人間なんて一人も残らない。
規範の信じられないところでは、誰もが自分の信じる道をいくしかない。それでいいのか、本当に大丈夫なのかなんて誰に訊ねても仕方ない。そのうちのいくつかは取るに足らないくだらないことだ。しかし自分だって他人から見れば同じだ。なにをすれば成功するのか、尊敬を勝ち得るのか、立場を守れるのか。その人自身が何を求めているかによって、答えはすべて違う。スノードンが死ぬ間際に秘密を明らかにしたように、とどのつまりそういうことなのだ。
この小説を読んでいると、人に好かれるには『好かれたい』と思わないほうがいいし、昇進したいならそう望まないほうがいいと言われているようだ。望むものを手に入れるには、望みだけを見つめて憧れていればいいわけではない。方法論があるのだな。まともな人間が実行するにはかなり大変だが出来ないわけじゃない、気の狂った方法論が。
冒頭に引用した逆説的な袋小路の象徴であるキャッチ=22という規則は、実は存在しない。そう、理屈じゃないのだ。