低血糖

このところ甘いものが食べたくて仕方ない。しかし手元に常にお菓子が置いてあるわけじゃない。なんとなく我慢していると、すぅっと目の前に紗がかかり、頭が軽く締め付けられるように痺れてくる。
こりゃ低血糖だな。
こういうときはご飯を食べていても間に合わない。とにかく糖分である。ジュース、生クリーム、カスタード、チョコレート。本当は果物を食べるのが一番身体には良いのだろうけど、緊急時に贅沢は言っていられない。放置すると手足が冷たく痺れて震えてくる。
ごくたまに、数年に一度くらいこうした時期があるだが、何か覚えがあると思ったら鬱を抜けるときの感じに似ている。前のクソ会社にいたときも一時こうなったっけ。脳の栄養は糖分のみということだ。思考して消費しているわけではないのだが、頭の中でなにかせっせと組み換えが行われているような気がする。


クソ会社の社長はほぼ犯罪者だった。業務内容はまともだったが、それに付随して彼がやってることはたまに法に抵触していた。何処の社長も多かれ少なかれそういうもんかもしれないが、彼のはちと常軌を逸していた。仕事も忙しくてデスマの連続だったし、そのくせ給料は毎月遅配していたし、しょっちゅう借金取りから電話がかかってきたし、月にいっぺんくらいは内容証明の郵便物が届いた。私がノワール小説のように刹那的に派手で刺激に満ちた楽しみのみを追求する性格だったら問題なかったんだろうが、実際には人道にもとる行為には嫌悪を覚えるし、穏やかな安心感が土台にあった上で手を伸ばして娯楽を受取るのでなければ心の底からは楽しめない。借金した手元で遊びにいっても嬉しくないし、材料を万引きするバーベキューなら行きたくない。アホな武勇伝にも『最低』『やらなきゃいいじゃん』以外の感想は抱かない。どちらかというとクウネル志向なのだ。ガラの悪いクウネルもあったものだと思われるかもしれないが、嘘じゃない。本当は心優しく穏やかに縁側で番茶を啜っていたいのだ。
それに残業はすればいいってもんじゃない。仕事はキッチリやって時間内に収めたほうがいいに決まってる。働くだけが人生ではない。だらだらやるのは逆に恥だ。もちろんそれはきれいごとで、終わらないものは終わらないし切羽詰れば徹夜することもある。でも常にそういう状態なのは、どこかありかたが間違っている。間違いがこの世に存在しないわけではないし、個人が楽に訂正できることばかりではないのは判っているがな。
基本的な考え方は今でも変わっていない。しかし私の考え方が通らない状況に取り巻かれていたのは、動かしようのない事実だった。順応しようとすれば思考の型を変えるしかない。別の見方、別の考え方、別のやり方。現実を変えられないなら、自分が変わるしかないのだ。
変化は疲れるし、不安定になる。どこか端っこが千切れているのを置き去りにしている気もする。負担がないわけじゃないが、それでも変えられずに破綻するよりはマシなのだ。現実に寄り添うこと、受け入れてもいいこと、固持すること。取捨選択をして、のろのろとアメーバのように形を動かしていく。私にとって変わるというのはそういうことだ。


甘いものを食べると、急に頭がすっきりとして楽になる。必要なときにはダイエットなんて余計なことは考えず、摂取に励むことにしているので、ここ数日は毎日コンビニで甘い菓子パンやチョコレートがけのドーナツなどを買い込んで出勤している。
あと、余談だが糖が麻薬なのではなく、糖分を取ると脳内麻薬が分泌されやすいのだ。