完璧に娯楽

巷で英語話が盛り上がっているのにつれて思い出したが、社会人になってから夜学に通いだしたときに、勉強するとシナプスが発火するような感覚がして面白いということを発見し、完璧に娯楽として高校英語と数学Aのおさらいをしていたことがあった。我ながら酔狂である。というか、十年遅い。
寝る前に数学をやるとミステリ仕立ての夢を見て、英語をやると旅に出る夢や得体の知れない人と話す夢を見たりするのも余禄の楽しみだった。脳の使った部分が活性化され、それが夢になって現れたんだろう。たぶん数学は論理とかトリックとかを『解く』ミステリになったのだろうし、英語は普段と違う思考回路を刺激されて『異文化に触れる』ような内容になったわけだ。ひとは言語によって思考する。
そのときに使っていた英語の参考書が面白くて好きだった。

思考訓練の場としての英文解釈(1)

思考訓練の場としての英文解釈(1)

日本語で育った日本人が、英語ネイティブが使うように英語ができるようになるのはそもそも無理である、という立脚点に好感が持てた。幼児の頃からシャワーのように言葉を浴びたのではなく、あくまで後付けなのだから感覚的におさえようとするのでは間に合わない。とにかく頭で覚え、道具を使うように英語を使いこなせ、という指南書だった。